架空のインタビュー

いま日本の若手バンドで一番勢いがあるといっても過言ではないであろう「Minnesota shore」。今年だけで言っても、1月に新潟で開催された「UJI ROCK FESTIVAL'18」に出演。デビューから2年半の短いキャリアながら、KIMONO STAGEの約3千人を沸かした。また5月に開かれたUKでの音楽フェス「Lollapalece」に出演。日本人の出演はフェスの歴史から見ても異例である。英国での評価もウナギ登りと言うから驚きだ。またフロントマンの飯竹はバンド活動と並行し、自身でwebメディアを運営しており月間1億回のPV数と並の出版社でもなかなか出せない数字を出している。いまでは30人もの人間を抱える1つの企業となっている。彼らは日本の音楽界におけるドン・キホーテなのか?眼光鋭いビジネスマンなのか?2ndアルバム制作中の多忙なスケジュールの中、そのフロントマン飯竹とベースを担当している岸に話を聞いた。

取材・構成:シュザイタイチ 撮影:サツエーコ

 

──バンドを始めたきっかけを教えてください。

飯竹浩二(以下、飯竹) 学生の時に僕が中心となって始めました。第一志望の大学に入れなかったこともあって、その反骨精神で何かやりたいな、と。で、ジャズ研究会というサークルに入るのですが、結構皆さん本気でジャズをやっていて。当たり前ですけど(笑)。したら、もう全然練習に参加してない当時の岸と近藤(ドラム、コーラス担当)が喫煙所にたむろっていて。「あっ、ダメな人たちがいる」って。


結構バンドは本気でやっていて月に1、2回はライブをしていたりしていたのですが、就職を機に一度だけ1年半ほど休止しちゃうんです。日経200に載るような結構大きな企業に採用されてしまって。忙しかったですねえ。

岸浩一郎(以下、岸) 僕は大学卒業後は就職せずにフリーターをやっていました。レンタルビデオ店と定食屋を掛け持ちしていて。都会暮らしの若い人にありがちなライフスタイルですよね(笑)。しばらくしてから、飯竹から突然電話が来て「仕事変えた。時間が出来た。バンドやろう。」って(笑)。

飯竹 メーカーの社員やっていたんですが、出版社に転職したんですよ。したら、前職と比べて暇なんですよ。全く期待されてなかっただけかもしれないけれど。(笑)だから、もう一度音楽やれるなあ、と。で、前の職場に鍵盤とかサンプリングとかそういったものに強い青山がいて。今、サポートで入ってくれているんですけど。それで、今のメンバーに固まったという感じですかね。

 当時は不思議な感覚でしたね。久しぶりに会ってみて、「お、生きてた?」みたいな(笑)。

──んで、すぐに三鷹にスタジオ(現:ユーロスタジオ)を設立されて。普通いきなりやれないアクションですよね?(笑)。

 僕の親が使ってない土地があるというので、そこ使えるじゃんと思って。それぞれに仕事を抱えているので、分業しないと先に進まないんですよ。毎回時間合わせてスタジオに入る訳にもいかないから。だから、皆でお金を借りてスタジオを建てました。

──そこでミニアルバム「elephant statue」が制作される、と。

 はい、結構スピーディに出来ましたね。飯竹がね、曲を思いつくスピードが結構速いんですよ。制作は飯竹と青山くんがアウトラインを作って、肉付けをみんなでするというのが基本的なスタンスです。

飯竹 青山くんと近藤が結構いろんなジャンルの音楽に精通していて、かなり助けられましたね。僕だけが作るとどうしても既聴感のあるものになってしまうので、ひねくれた要素を入れてくれることで良い意味で異質な曲が出来ています。

──そんな中で、あの「ulps」からツアーの招聘があって?

飯竹 あれは事件でしたね。あれが無ければ、今のMinnesota shoreは無いです。だって学生時代から聞いていたインダストリアル界の重鎮が来日するからそのツアーの前座をやれと突如僕のgmailアカウントに来て(笑)。もうスケジュールを見ると会場の規模が凄いんですよ。今まで僕らは100人入るのかな?みたいなハコでやっていたのに、いきなり何千人単位で……(笑)。

 自分たちの機材で大丈夫なのか……みたいな(笑)。

飯竹 その時普通にガラクタみたいな機材でやってましたからね。近藤なんて自分のドラムセット持ってなかったし。

 

──で、半年後本当にそのツアーが実現して、そこからの反響はどうでしたか?

 「なんじゃこりゃ」というくらいメディアの露出が増えましたね……もうあのツアーをきっかけにレンタルビデオ屋などのバイトも辞めれるくらいに。でもあまりに現実味がなくて、同時に「このスピード感で続けられるのかな」と思い始めましたよね。音楽で飯を食うなんて全く思っていなかったですし。

飯竹 結構リアリストなので、この勢いはいつまでも続かないなと思うところがあって。だから自分が好きな領域で何かやれないかと考えて、在籍していた出版社のコネを使ってwebメディアを立ち上げました。

 今そこのライターとして在籍させて頂いているんですが(笑)。

飯竹 思うのは、やっぱり色んなことを運に任せたくないということですよね。人道を全うするというと大げさかもしれないですが、防御策を出来る限り張り巡らせて、結果どうだったかという風にしなければいけないと思うんです。どのみち人は生きていかなければいけないのだし、音楽をしているときはどこかに基準を合わせるという要素は少ないのですが、webメディアの運営やその他のお仕事はビジネス的な観点で、求めてきている人の希望に合わせてやっています。生き方が多様になってきている現代なので、自分の好きなことだけやって生活するというのにはある種危機感を持たなければいけないと思っています。

 

 おー、耳が痛いですね(笑)。

──ビジネスマンの観点とバンドマンの観点、主軸はどちらに置いているんでしょうか。

飯竹 ビジネスマンの観点を大事にしています。作曲以外のところでは特に。

──興味深いですね。バンド全体としては一体ですが、個人の考え方の拠り所はどこにあるんでしょうか。

飯竹 みんなそれぞれあるだろうけど、僕はやはり就職してからの経験だったりが大きいです。決まりごとの中である程度生活していて、それは一見自由じゃないんですけど、なにも制限がないとそれこそ不自由だということを感じて。だから、結構ビジネスライクにやっていると思いますよ。だから全部自由気ままにやってますみたいなところなんて当たり前ですけど、何もないです。

 僕は意外と単純に今風の若者の目線に近いと思いますよ。今年で僕は26になるんですけど、書籍からしか情報を得ていないんじゃないかというくらい本しか読んでいません。PCも滅多に触らないし、テレビなんて中学入ってから見てないんじゃないかな。いまの若い人ってどこか自分の好きなこととか興味とかに特化している気がするんですよ。だから、その感じに近いと思っています。

飯竹 バンドという共同体ではあるけど、馴れ合いみたいなところはないですね。いわば会社組織に近いです。ダメなところはダメだと言うし、ダレていたら引っ張りあげる必要がある。でも、そういう関係が凄く快適ですね。

──なるほど。ドライに活動をしている印象があったのですが、1年前くらいのライブで「もっと想像力を働かせるべき」という結構熱のこもったMCがすごく印象的だったのですが。

飯竹 その頃、公私共々バタバタしていて。僕の発言が各所に取り沙汰にされて、当時所属していたレコード会社からすごい注意を受けたんですよ。そのフラストレーションから出たMCですね。でも、大人の言う事を文面そのままの意味で取ることほど、アホなことないと思うんです。その先、その裏の文脈を汲んでいかないと、それこそ思考停止じゃないか、と。そこは結構バチバチしていました。自分のフィルターに透過させて、その結果間違っていても価値が生まれるじゃないですか。そっくりそのまま返す伝書鳩なら要らないと思っていたので。

──その後、レーベルから独立して、制作される発表しています。

飯竹 はい。一連のやりとりも終わったので、腰を据えるにはどこがいいかな、と考えまして。レーベルに所属する必要性もそこまで感じなかったし、ルールも自分たちで定められるために今の決断をしました。簡単なことではなかったのですが。

 

──今年の11月に2ndアルバムが発売されるとアナウンスされました。その作品についての今後の展望についてお聞かせください。

 とりあえず1stの手探り感が薄まったせいか、客観的にみると良い意味でこなれてきていると思います。これでウケなかったら手探り感を出すために当分音楽から離れてまたイチからやることを考えなきゃいけなくなりますね(笑)。

飯竹 あんまり深いことは考えておらず、素で作ったので、やりたいことをやったんですがいかがでしょうか、という感じです。これからは何となくなんですけど、実験的な試みをしたいと思っています。メンバー40人くらいにしたり、アカペラアルバム作ったり、考えだすと全然取り留めもないですね(笑)。

 曲数からみても16曲ボリューミーなのですが、難産ではなかったですね。次は難産な作品を敢えて作ろうかということを話したりしています。全曲コラボレーションしちゃうとか(笑)。

──今後は海外のライブを積極的にされると聞きました。もう一回りしたら、活動規模も倍くらいになっているのでしょうか?

飯竹 そうだと、いいですよね(笑)。バンドは存続できるのかな?

 解散するときはやることが思い浮かばなくなっちゃったときですかね。それでもまあ、レンタルビデオ屋には戻らないと思いますよ。次は漁船にでも乗ろうかな(笑)。

 

 

 

攪拌

◎月◇日
仕事をしていて感じるのですが、社会のシステムとしては必要だけれども、本音を言えば不要な仕組みが多すぎます。社会がオレに合わせろなんて口が裂けても言えないですし、他人の物差しにまで、口を挟める身分の人間ではありません。しかし、みんなが要らないというものをいつまでも残しておくと、この国の仕組みも用いる価値のないモノで埋め尽くされそう。あとは個人の度量の問題です。

△月×日
人の考えられるキャパは決められているのか。朝支度を夜のうちに行っておかないと、次の日の思考体力が朝支度分だけ削られていく気がします。同じく、感受性の容量も時期によって決まります。たとえば、文芸に寄りかかっているときは映画も音楽も触れる余裕が生まれません。私は文芸、音楽、映画を精神的支柱にしておりますが、このサイクルは2週くらいで移りかわる気がしています。
それに伴って、あれもこれも全部やりたいみたいな欲も薄れてきた気がします。「30代にもなると人生の主人公感がなくなり、他のモノゴトを考える余裕が出来てくるので、オススメ。」というネットの書き込みを、今なら何となく理解できるような気がします。いくら想像してもたかが知れており、現実はいとも簡単に自分の想像力を超えてきます。

※月▼日
27歳になるのが結構自分で信じられないことです。よく知られている偉人も死んだのが27歳だという方がまぁまぁ多い。そんな太く生きていないし、27歳も難無く生きていく自信があるのだが、一端のオトナとして見られるのが当たり前な年齢になってきていることをひしひしと感じている。

卍月α日
ネット社会に散見される「誰か私に問いかけてください」というスタンス。何か問われれば「〇〇です」と答えることができる。でも、大事なのは自分で問いを見つけることだ。どうありたいか?という問いを持ち続け考えることが大事だと思っているが、答えを固めるのが難しい。小さい頃から定型教育を受けてきたり、無数のインプットを浴びてきたからか? 世に既に在るモノから選び取るのではなくて、空気を読まずに、自分がどうありたいか今一度見つめる必要があるのかなと思ってます。

〼月✳︎日
改行することが思いやりだとは思うんですが、こっちの方が書くときには快適な気がしました。どっちがよいのでしょう?

ホットソイと叱責

◆季節が夏めいてきました。

つい最近まで寒さで縮んでいた

身体も調子もよくなってきました。

僕は何を書こうか、と電車の中で

考えるのだけど、この気候だと

3歩進むとほぼ覚えていない。

ご機嫌な脳の構造をしています。

 

◆そうそう、つい最近、 仕事を変えたのです。

転職自体は去年の3月から

必ずすると決めていました。

 

1.居住地を変える

(出費のインパクトを抑えるため)

2.仕事を変える

(興味のある分野に進むため)

 

これらを去年中に行うはずだったのですが、

後手後手になってしまい、

ようやくこの4月に完遂させました。

 

新卒のカードを切って入った会社だし、

特別なスキルを持っている訳ではないので、

それなりにリスキーな選択でした。

が、ずるずると不満を抱えたまま

20代を消費する必要も全くないなという

ただ一つの理由で活動を開始しました。

 

◆それなりに反対もありました。

そんなのやってみて判断すりゃいいことで、

失業保険など制度の整った恵まれた国なので

死ぬこともありませんし、

なんも心配してませんでした。

 

金融機関に曲りなりにも勤めていた

人間としてアドバイスすると、

・注意力散漫な人

・人の好き嫌いが激しい

・コロコロと興味の対象が変わる

上記に一つでも当てはまると

難しいのかなあと思います。

 

◆勤めていたことで得られた力もあります。

①批判的になれる

マイナスっぽい書き方ですが、

全然そんなことありません。

めっちゃ必要なことだと思います。

まず無思考な人に批判することは無理です。

本当かな?という疑念を持って物事にあたる。

この能力がめちゃくちゃ鍛えられます。

僕みたいな単純な人間は

思考プロセスを幾重にも張ることが重要です。

 

②社会人マナーを効率よく身に着けられる

これは言わずもがなで、

金融機関で勤めるということは

サラリーマンの極北に身を置くことなので、

マナーをそれなりに求められるということは

想像に難くないでしょう。

 

③物事細かくなる

フォント不整合、日本語の違いに対して

ものすごく細かくなります。

神経質じゃねえか、

と嫌厭されるかもしれないですが、

意外と身に付けといてよかったなと思います。

クオリティってどこで判断されるか

わからないので、この力が

いつ生きてくるかわかりません。

 

どんな環境にいても、なにを得るかは

その人次第。

僕はそのまま惰性で生きていたら

得られないコトを

前の会社で勉強させていただきました。

非常にいい環境でしたし、感謝おりますゼ。

行方、またその顛末について

 

季節は春、3月に差しかかろうとしています。

寒さが身を縮める場面が多くなってきました。

これから段々と暖かな陽が射す日が多くなると、

嬉しくも悲しくもあります。

未だに和暦で問われると、

平成2・・・何年だっけとなることがありますが

もう50日以上も平成29年を過ごしているのですね。

 

 

守っている信条は人それぞれあるでしょう。

「一期一会」や「人に嘘をつかない」だったり。

それはそれぞれに良いと思うし、

人様に迷惑をかけなければ、

どういう考えを持っても、

別に否定する筋合いは他人にあると思いません。

(ここらへんは母の教え)

 

いまスタバにいるんですが、

自分の信条をコーヒーを飲みながらざっと洗い出してみると、、

⒈考えは流動的

⒉自分の器が基準

⒊ずっと正直でブレないのは書物くらい

くらいなもんかな、と。

 

⒈考えは流動的

自分もそうなんですが、人間、

考えがずーっと変わらないわけないんです。

だから、絶対そうだよ、

100%こうだよという物言いに僕は違和感を感じざるえません。

そういう言い方をするなら、

先頭に「現時点では」、結びに「こう思う。」

を心の中でも良いので言うスタンスでいるべきだと思います。

押し付けがましいから。

(でも押し付けがましくない人っていますよね、

あれ、羨ましい能力だなあ〜。)

でも、考えを表明することはコミュニケーション上、

絶対に必要なので、どんどんするべきだと思います。

(僕は出来ていないけど)

 

昨日までAちゃんが好きだったのに、

次の日は中条あやみちゃんが好きなときとか

あるじゃないですか。

 

⒉自分の器が基準

理解が出来ない人や現象に会ったときは、

受け入れる器が自分に無いからだっていう風に

考えるようにしています。

相手が出す液体を受け入れる容器が自分の手持ちに無い、と。

そういう風に考えるとストレスも減るし、

他人を矯正しようみたいな考えも無くなるので。

相手に合わせた容器を作るか、

不要と判断するかはその人が時間作って、

ゆっくり考えればいいと思います。

 

⒊ずっと正直でブレないのは書物くらい

これって⒈と通じるのかもしれないのですが、

人間の言うことを100%受け入れることはあんまりないです。

無思考に全部取り入れることは絶対しないです。

「なんだそれ、当たり前だろ」と思われるでしょうが、

僕はここまでくるのに、静かに凄く苦労しました。

事実、18歳くらいまでは他人の生き方をトレースするしかなかった。

でも、僕は書物や作品に対してはワキが甘い。笑

優秀な人が作ったモノを優秀な人が校正している。

プロ同士が手を組んで、世に考えや作品を輩出している。

考えに良し悪しはあるので、すこーしフィルタは

かけるべきでしょうが、

僕では考えが至らないので、作品を読んだり、

見たりして感じたことは覚えられる限りは

抽斗に入れていこうと考えています。

 

無意識に思っていることはもっと多くあるかもしれないけど、とりあえず。

 

 

1年半ほど抱えていた悩みに

ひとまず終止符を打ったと思ったら、

また新しい悩みを抱えてしまった。

分かっていたことなのに。

でも、どこかそれを望んでいたフシが

あるのかもしれない。

 

 

 

ブーランジェリーに死す

 ふと前を向いてみると1月が完全に終わりを告げました。つい最近、実家近くの神社でお参りをしていた気がします。そういえば昨年は色々ありました。自分の将来について、結構思い悩みました。(体感この悩みは3年ローテくらいでくる。)もう来世はコアラにでもなって寝てえ〜と、街中で考えていたら女子高生とぶつかってしまいました。

 

 一年前、仕事を変えようと思い立って、職務経歴書を書きました。あれは自分の過去やってきた仕事の概略、身につけたスキル、自己PRなどを記す自己紹介の書面なのですが、最近ふと見返してみました、すると、想像以上に文章がひどくて。曲がりなりにも文学部を卒業していますが、何も学んでないことが如実に分かる文章。あまりの衝撃に脳内では鬼束ちひろが「月光」を歌い出す始末。こんなものの為に生まれたんじゃない。しかし、考えてみるとその至らなさに気づけたのも、この一年で成長したからに違いないのですが。(こう思うと、1年先の自分が今の自分に失望して、鬼束ちひろの流星群を脳内で熱唱する可能性が有る。)

 

 日本語は本当に難しい言語です。26年も生きてきて、使いこなせた実感がないです。適当に話を合わせてみたり、詩的な表現を出してみてとか言われれば、そら簡単に出ますよ。真剣に考えて、自分の思いを伝えることが難しい。考えてない、中空にある言葉を発すること、何かの引用なら脊髄反射で出来ますから。自分のこともよく掴めていないのに、言葉に出すのは至難のワザですね。

 

 で、意外と考慮に考慮を重ねて、いざ発してみる言葉が全然面白くない。そういうものです。

 

 でも、自分の評価も案外アテにならないもので、自分の基準なんかあったらいかんのやないの?と思うことが多々あります。大体、自分の基準に照らして先のことを予期してみたりしても、外れることばかり。世の中わかりきったことばかりじゃ面白くないですもんね。

 

 このブログも自分の基準で人が見やすいようにエッセイとブログの中間地点を探しつつ記していたのですが、見ている人とは「見にくい・・・(相手)」「えっ?あっ(私)」「見にくい・・・(相手)」という感じのやりとりしかできないです。この問題に対しては文量を短くするか、アイドルのアメーバブログくらいの多大な行間を使って物事を記すしか、今のところ打開策が見つからないです。人生は単純に見えて複雑ですね。

アンサー

 筆不精とはこのことで、守りきれない更新の頻度。そんなに多くの人が読んでいるわけではないだろうと思いつつも、書き始めております。なぜ書き始めたのかというと、夜の渋谷を酩酊しつつ、友人と闊歩していたら大学生グループと不思議な交流が始まってしまい、オカマみたいな男の子とインスタグラムのアカウントを交換していたようでして、その子から後日「めっちゃ、面白いブログ書いているんですね」(←LINEより抜粋)と言われたので、やる気になった次第であります。単純すぎる。馬鹿か。

 

 歳を取るとちょっとやそっとのことで傷つかなくなるとよく聞きます。僕は本当に豆腐メンタルなのでちょっとした他人の言葉とか所作で傷ついてしまい、小さなことでも11〜12時間は心に引っかかってしまいます。誰かの言葉で突然目の前がInkwell(インスタグラムの白黒になるフィルターの名前です。洒落ていますね。)っぽくなってしまったり、足元の地面がぐにゃりと歪んでバランスが取れなくなってしまうこともあります。でも、どうやら傷つくことは若者の特権であるという考え方もできるようで、性的なポテンシャルや感受性が若い頃より磨耗してしまっている人からすれば、輝かしいことであるという文章をどこかの本で読んだことがあります。ほんとにそうなんですかね、歳を取ってみないと分からないか。傷ついてしまった人っておそらくそれぞれの逃避の方法があると思うのだけど、皆さんは何をされるんですかね。恋愛ですか、映画鑑賞ですか、はたまた仕事でしょうか。気になるところではあります。んで、僕は何が一番ストレスなのかというとおそらく「興味のないことをかなり強い力で強要されること」だと思います。人間ですからたまにはそういう経験がないと、精神的にヤワな人になってしまうのだけど、生きて行くだけでこういう場面が非常に多いと感じます。努力を娯楽にしてくださいとかこと聞いて久しいですけど、全部が全部出来そうにもないし、うーん。嫌なことは先伸ばしにしたり、見て見ぬフリしたいじゃないですか、とかいう本音を出すと、日常生活送れない気がするので、どんどん傷ついていきましょう。

 

 ここ最近、自分が嫌なところが特に2つ目についていて、まず論理力がないこと。これほんと最近特に欠乏を感じるのですが、ロジカルな思考というものが苦手なようだ。理系に進むことを拒んだ高校時代の自分と膝を突き合わせて15分でよいので、ロイヤルホストで説き伏せたい気分だ。「条件Aがある、こういう理由でBという見解もできるが、Cという結論もこの部分からこう考えると導きだせる」みたいなのは回りくどいと感じてしまうので、場当たり的に「いやこれ、Dっぽいな〜笑笑」という結論をだしちゃうので、叱られたり、痛い目を見てしまうことがある。0か100で考えてしまう。ここ最近の嫌なところだ。治したい。簡単に論理力って補填できる気がしないですけどね。あと文頭に「まあ」とよくつけるのも悪い癖だ。「まあ、いいんじゃない?」「まあ、そうするか」と言われたらどうか。「こいつ、そんなこの理由に納得してねえな?じゃあ代案だせや」と思っちゃうだろう。保身の代わりで「まあ」という言葉を小さい頃から使用してる気がするのだけど、本当に封印したい。これは友人とのLINEでもよく使っている気がする。まあ、やめよう。そろそろ。

 

 僕は結構本を読む。自分の部屋で誇れるところといえば、本棚にある本の量くらいで、あとは別に、というか本と服くらいしかものが無い。仕事も休憩中にや通勤時間に本を読んでいるから保てているようなもんで、仕事を辞めてしまうとその時間が無くなってしまうので、途端に読書をする時間が無くなってしまって、活字を読む時間が無くなってしまうかもしれない。生活していると別に読むことはないのだけど、仕事に関わるなにかの時間だとやたらと捗る。(会社には給料泥棒!万年平社員!何かの鳥!と本当に怒られてしまうかもしれないですね。)僕の祖母をはじめ、結構自分の家系(林家)は読書家が集まっている。(ただ、父親の兄は本は読まずにタイでタイ美人をはべらしているようで、全く日本に戻ってこない印象しかないのでこの限りではない。)

 とはいえ、僕だけかもしれないけど、大概の本の内容なんてものは映画と違って頭に残らない。ひどいときなんて「(主人公の女の苗字なんだっけ・・・たかは・・さとう・・?)」みたいな有様である。でもなんで読むかっていうと、真面目な話、「自分を保つため」であるとしか言えない。エッセイを書く有名人を通して、不可抗力で殺人を犯してしまう母親を通して、旅人を救ううさぎを通して、自分を投影してみて考えを取捨選択をしてみる。他人やマイナスな自分に全て引っ張られないように自分の人生を俯瞰してみるのに結構読書っていいもんだと思いますよ。

 こんな記憶力のない自分でも強烈に覚えている一冊があって、祖母から貰った本なのですが、スティーブンソンの「若き人々のために」という本です。(アラサーがなにいうか。)表現はいささか難解であるけども、(昭和28年に初版発刊なので仕方ありませんね。)恋愛から死まで結構救いのあることが書いて有る。あっ、日本の最近の本だと、「タンノイのエジンバラ」って短編が良かったな。終わり方が洒落てるし。

 

あー久々に書いたら疲れました。寝たい気分だ。

寝るときに聞くと、アリーナで寝てる気分になれるよ。

 

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Baby 今夜だけ、たどり着きたい....松屋

イントロダクション

1ヶ月以上も更新を止めてしまっておりました。蜘蛛の巣を掃除しつつ、記します。更新を止めていたあいだにも、400アクセスあったみたいですが、、なんでだ?!顧客離反を防ぐために「はてなブログ」の運営の方々が朝夜、血眼になりながら適当にアクセスしているのだろうか。謎、である。

 

ある日

今年に入ってから、映画をあまり観ていない。2014年から本格的に始めた映画鑑賞も今年に入ってから上半期で鑑賞数16本という前年比25%という体たらくぶり。鬱屈とした気分から目を背ける「現実逃避」のために映画を観始めたのがはじまりなのに。なぜ観なくなったかというとDVDでの映画鑑賞に僕のゴミみたいな集中力では耐えられなくなってきたというのが1番大きい原因です。ぼくの家はテレビも無ければ、充実した音響設備もありません。よって、PCでの鑑賞を余儀なくされるのだけど、これがもう嫌がらせかと思うほど全然良さが伝わってこない気が迫りあがりまくってきやがるわけです。じゃあ設備整えれば?とも言われかねないですが、まあそれなら映画館ばかりで見ればよいという超パワープレイ解決策を思いつき、断行しており、もうここ1ヶ月は映画館に行き狂っています。なんかオススメありますか?僕が一番好きな映画と言われていま浮かんだのは、邦画では「トニー滝谷」、洋画では「クラッシュ」です。

 

ある日

最近、僕の読書量は過去最高レベルのペースを刻んでいます。僕の読書量には波があって、全く本が読めない時期と一転、読書中毒になる時期がありましてね。いまハイペースな理由としては「エッセイ」ものが非常に昔と比べて胸に響く年齢になったということがまず一つ。他人の所感に触れるのは一つの快感。あと「村上春樹」作品の面白さに気づいたのが読む気スイッチを押したきっかけになったのかと。(笑)をつけたくなるくらい、月並みなことかもしれないが、いまの僕にとって、本当に面白い。批評とか評論は個人の趣向、好き嫌いをどのような言葉で連ねるかみたいなところがあるので、書かないし、書くスキルもないけど、「エッセイと村上春樹」みたいな、ある層からは鼻つまみモノなセットが今、自分の中でキテいるのアル。

 

ある日

小学生時代のぼくは結構やんちゃかつ変な子供だった記憶があって、学校が終わってからすぐに野球やら鬼ごっこやらに出かけたり、先生と喧嘩するみたいな面もあれば(まあ、いま思えば喧嘩じゃなくてあしらい)、渡部篤郎に憧れて、無口でクールなのが「マジでイケてるし、女の子からモテるっぽい」と、考える節がありました。ですが、まだ小学生。母親がひらがなで書いた自分の名前が歯ブラシにランドセルに入っているくらいなので、あんな色気と貫禄が出ることはなく、それはそれはモテませんでした。それにあの頃すでに人間社会の怖さ、陰湿さみたいなものを知覚する体験をしています。それはある下校時のこと。僕には一応、一緒に帰る子がいるくらいはコミュニケーション能力が備わっていたみたいで、一緒に学校の近所の坂を下っている時のこと、道にそれは立派なう○こが落ちておりました。ソレは当時の僕らからすると、都知事選くらい話しのネタになる物でした。その日、僕は給食後、歯磨きをしようと思っていたら歯ブラシを忘れておりました。目を凝らしてソレを見てみると、見覚えのある歯ブラシがソレに突き刺さっている。3秒沈黙。それこそ村上春樹的、世界の転換現象に苛まれたのか??まさか・・と、疑うのもつかの間、持ち手の部分に紛れもなくマジックで僕の名前。ああ、なんて人間とは残酷で、生きるとは過酷なことよ、、、と6歳の僕は独り言ちたのでありました。皆さんも歯ブラシの管理には用心していただければと思います。今日の私、いや6歳の私からは以上、です。