パーティ

 私はラップトップの前でマフィンを頬張っている。隣には書類が山積みになっており、どれだけ指先を動かそうとも仕事は減ってくれない。埃は溜まっているし、あらゆる物が散らかっている。近頃は掃除ができていない。窓の外は国営の公園が広がっており、近隣住民が各々の時間を過ごしている。キャッチボールをする少年、寝転んでいるカップル、新聞を広げている背広姿の男。

 先日、道端で猫を拾った。大通りから1本入った細い路地で猫が横たわっていた。猫は頭部にひどい怪我を負っており、泥と自分の血が固まり、黒い塊に見えた。その猫を抱きかかえ、バスルームに連れこむと身体を綺麗に洗い流してやり、息絶えてしまいそうな状態の猫を近くの病院に連れて行った。顎から頭部にかけ、深い怪我を負っていたが、医師の賢明な治療により少しずつ回復していった。その後、私は自身のSNSでその猫の里親を募り、40代の女性の元へと猫を送り届けた。先週に届いた彼女からの手紙には、あなたが繋げてくれた猫のおかげで生活、人生の意味を考え直しているという旨が書かれていた。

 外は雲行きが怪しくなり、小雨が降りだしてきた。朝干した洗濯物を取り込まないとまた洗濯機を回すハメになる。私はヘッドホンをしながら洗濯物を取り込むと決めている。どんな気候にもどんな気分の時にも邪魔にならない音楽を。建物の前に広がる公園にはもう人はおらず、昼過ぎの活況もどこかに身を潜めてしまった。

 故郷はいま住んでいる東部ではなく、もう少し人の手がかかっていない西部地方だ。学生時代まで田舎での生活を過ごし、家具のデザイナーを志してから、東部で見習いの仕事に就いた。東部での生活はかれこれ15年になる。この15年で様々な経験をした。妹の結婚式、ペットの脱走、恋人の裏切り、親友の死。いまではそれが全て一つの劇だったように思えてしまう。東部の無味乾燥な生活は、一歩引いた視点を身に着けるに最適だった。私はそんな劇的でもない私をもう少し生きていきたいと思っているようだった。

フィールドワーク

 

 終わりを告げようとしておりますGW最終日の23時。理想的な休日を過ごせた方もそうでない方も同じようにまた今日は昨日に、明日が今日になっていきます。僕は11日間のお休みを頂戴し、東京、名古屋、大阪の3都市で過ごすことにしました。まとめてここに思い出を記そうと思います。

 26日に諸々の準備を済ませ、中学時代の同級生の結婚式が予定されていた為、愛知に前乗りをしました。私は今年で29歳になるので、早い人だと「葬式も結婚も人生のイベントをあらかた一通り経験しちゃったよ」という人が出てくる歳になります。同い年の著名人を挙げるブルゾンちえみさん、池松壮亮さん、菊地亜美さん、エマ・ワトソンとまァそれだけでも胃がギブアップしそうなくらい濃い面子の世代でもあります。目的の結婚式は友人に囲まれた温かな雰囲気の中、変わらぬ面々と良い時間を過ごすことが出来ました。私の地元で集まるともう結婚してない人間の方が少数派となり、多少の居心地の悪さが視界にズカズカと入ってこようとするのですが、焦る時期でもないし、焦ってもないので、それは捨て置き、名古屋に入国することにしています。毎回。

 28日~29日は地元でも特段予定を入れず、ゆっくりと過ごしました。予定という予定といえば、コンパルという老舗喫茶店に2日連続でお世話になったことと、名古屋の映画館でアベンジャーズの最新作を見たことくらい(非常に豪華で素晴らしかった。)3冊ほどの本もここで消化。

 29日夜には大阪へ移動。私は大阪に不思議と訪れたい気持ちに駆られるので、今回もその流れ。特に友人とも約束せず、新幹線の中でホテルを予約する適当ぶり。(案の定、ネットで宿泊先を探してもマジで見つからず、中心から若干外れた野田阪神駅の近くのビジネスホテルをとった。千日前の汚ねえ路上とかで寝ることになると思い、本当に焦った。)大阪は名古屋と東京とも全然違う文化・雰囲気を持った都市で、個人的には一番歴史というものを感じることができる。出てくる料理も街並みも結構なインパクトで、何より地元民から繰り出される言葉の感じがまるで違う。ここが一番大きい。擬似海外感を味わえるのでクセになって再訪してしまう。

 30日、1日はひたすらに街を歩いて、一人でご飯を食ったり、展覧会に足を運んだり、買い物をしたりした。ある時、堺筋本町の日本料理屋でランチをしていた時、還暦過ぎくらいの板前さんと床屋談義をする流れとなった。どうやら大阪には老舗や舌の肥えた方々に評価されていた昔ながらのお店が軒並み無くなってきているとの話があった。「個人主義観の強い大阪人はみんなで町を良くするって気持ちがないんで、あかんですなあ」という一言を放ち、ししとうの天ぷらを揚げてくれた。私も個人主義感の強い人間であるし、それが元手となって数々の痛手を被ってきた。色々な人が言う人を巻き込んでいかないと遠くにはいけないですよという言説への切り替えし、またその考えへの変容が出来ない自分には刺さる一言と天ぷらだった。ごちそうさまでした。

 旅行も最終日となり、新幹線乗車まで時間があったので、ランチを食べるために西成をうろついた。「日本一ディープな場所にあるカレー屋」という看板を見つけ、思わず入店。そこでも話をする。オーナーの方は西成で生まれ、広告代理店に就職をして東京など点々としたそうだが、西成でカレー屋を開業。元バンドマンこともあってか、会話が弾む。(私もバンドマンの端くれなのです、、、うぅ、、、)就職してからすぐに交通事故に遭い、生死をさまよい、記憶障害を患って恋人の名前を忘れてしまった話や西成の風評被害の話など、今まで見聞きしたことのない話ばかりで刺激的。時間も忘れて聞き入ってしまった。(そのオーナーはラジオDJもやられていたとのこと、そりゃ話に引き込まれるわけだ。)

 ふと、オーナーがこれから社会人大学に入る話をしてくれた。「いやもう40歳過ぎてますけど、学割使えるんすよ、最高でしょ。」ぐぬぬ、、、私も学割を使いたい、、、!!なぜ大学に入りなおすのかを聞いてみた。やりたいことが見えてきたからのようだ。大阪を本気で考える時期に入っているから大学に入りなおすそうだ。僕も社会人になってからというものの頭の片隅に一つの悩みを抱えながら生きている。そう、「特にやりたいことがない」。自分のケツに火が着くくらいのビジョンを見つけた人はすごいですよね。とりあえずやってみるという回答があると思うのですが、これが不思議と決心が付かない。オーナーにも「まあー、僕も次やりたいことを探しているんですよ、年内にはケリつけたいんですけどねえ、、、」とふわっといやらしい感じで悩みを投げかけてみたところ、「まあ、、、ええんちゃいますか。僕も見つかったのもここ最近やし。」とのお返事。ああ、このお返事を貰えるだけでも、この5日間の旅行に意味はあったのだなあ、と思い、お勘定。西成を後にしました。またお邪魔しますね。オーナー。

 こんな感じでゆるい旅行もなが~いGWも終わりまして、今は絶賛体調を崩しており、手と顔に赤い湿疹を抱えたまま明日から労働に勤しまなくてはいけないという状況に自分の中のアベンジャーズもげっそりしておりますが、身を粉にはせずに頑張ろうと思っております。

再拝。

野に牛を放つ

不定期にブログをしたためているが、常々思うのが横書きの日本語の文面は読み辛くいのではないかということだ。英語の文章が縦書きで書いてあったら、それは嫌がらせかと思う。例えば僕らが学校教育で触れてきた日本史の和歌等は縦書きの文章で書かれている。また今現在も刊行される書籍の大半は縦書きである。電子書籍化に伴い、この縦書き文化を廃絶するという決断も出来るだろうが、個人的には抵抗感を感じる。縦書きのブログがあるのであれば、そちらに即時移行したい。僕のような知名度のない人間の書く文章はディスプレイを通しての一方的なコミュニケーションになるので、読みやすさくらいは提供できないかなと思っているのですが、、、。

◆異性の同世代の人間かつ初めて会う状況になると決まってでてくるのが「好みのタイプの異性の話」だ。この手の話は大抵不毛だし、結果フィーリングじゃねえかと思うのだが、コミュニケーションとしてそれを口に出してしまうと「なんて趣のないオトコなの・・・」と思われるので、なんとか回答をひねり出して答えることになる。まず「頭のいい人」には惹かれるだろう。頭の良いというのは学歴がすごいであるとか、非常に高度な仕事に携わっているとかそんな上品ではない話ではなく、「個人の世界をきちんと持っており、他人の価値観や思想を受け入れることのできる器のある人だ」という定義が今現在しっくりきている。ただ、これも実体の無い言葉なので何ら意味はないに等しいのだが。

◆もう僕も28歳になった。6年前、スクラップアンドビルドの衝動に駆られたのか、若干飽きていることは明確だったので大学を卒業してから地元を出た。物件を探してみたり、見知らぬ人と仕事をしていたりすると今まででは味わえなかった感情があった。また他人に飽きやすい(飽きられやすい)ので、流動性が遥かに高い都市の方が向いているのかなとも思ったものである。またあらゆる意味で拠り所は複数持つべきで、一つしかないことの方が辛いかもしれない。その方が考えのバランスをとりやすい。耐えられなくなったらどこかをセーフハウス代わりに使ったり、一方を破棄することだって無理をすれば可能なはずだ。人間のストレッサーは大体が他人なので、希釈というのも一つの手段である。違う星の状況に一喜一憂していく必要はない。何が必要なのかどうか常に見極める姿勢が大事だと感じる。

架空のインタビュー3

    この寡黙な印象から、あの役柄は想像できただろうか?今夏公開となる「路傍」。その作品の主人公となるのが、宇野保志、その人だ。映画の舞台は90年代の千葉県。隣町である東京ではディスコが乱立したり、地下鉄サリン事件など象徴的な出来事が起きていた激動の時代。その派手なトピックの所為であまり取り沙汰にされていないが、千葉で「船橋・行々林銃乱射事件」が起こる。映画はこの死者4名を出した事件を描いている。犯人は2日間の逃走の末、静岡の山中で逮捕されているが、宇野はその犯人である山田幸三を演じている。

18年前、子役デビューを飾った彼がいまその凶行を演じる。その背景には何があったのだろうか?撮影に対する葛藤と役者人生、またその展望を聞いた。

取材・構成:シュザイタイチ 撮影:サツエーコ

 

──先ほど拝見させていただいて、もの凄い熱量の作品でした。

宇野保志(以下、宇野) ありがとうございます。


──今まで演じてきた役柄と全然違うじゃないですか。前作の「ダイバーシティ」では生徒が恋い焦がれる生物教師を演じていて、その前の「バイマイサイ」では盲目の女の子に恋をするパン屋の青年と。この作品の話が挙がったときにはどういった心境だったのでしょうか?

宇野 全然違いますね。でも表面では見え方が違っていても、死ぬほど葛藤しているという点では同じなんです。「ダイバーシティ」では生徒の寿命を知ってしまう先生、また「バイマイサイ」ではハンディキャップを抱えている女の子に惹かれてしまうわけで。今作も銃を乱射するというトピックだけ見れば単なる狂人ですが、そこに至る過程では生物教師やパン屋の青年同様に山田自身も自分と対話しています。なので、意外とその部分で共感出来てしまうんですよ。

──松下監督も「宇野君は日本の若手だと妙味がある。こちら側が葛藤する価値のある貴重な役者。」だと評されています。

宇野 本当にありがたいことですよね。ずっと松下監督の作品に出たいと言っていましたから。出てくれないか、と電話で言われたときには反射的にお願いしますと言っていましたね。

──役を作る際は何か気を付けていることはあるのでしょうか??

宇野 どうなんですかね、そんな意識してないかもしれないです。よくハリウッドの俳優が炭水化物中心の食事をとって、アイスクリームを溶かしてそれで胃を満腹にするとか聞きますけど、人間業じゃないですからね(笑)。今回は資料映像とか新聞記事とかを読んでずっと心の中でその状況を投影するようにしていました。それ以外はもう普段の生活と変わらなかったですね。

──普段は何をして過ごされていますか?映像を観たり、音楽を聴いたりされているのでしょうか?

宇野 僕はテレビも観ないですし、音楽もそれほど聴かないですね。ずっと外にいる気がします。ある日、公園のベンチで座っていて、漫画読んだり、子供を見たりしていたら、半日くらい経っていたことがあった(笑)。本ばっかり読んでいるかもしれないですね。好きな作家はカート・ヴォガネット・ジュニアやミラン・クンデラ。日本の作家さんの本はあまり読んだことがないかも。日本の文芸には湿り気を感じてしまい、そこにあんまり集中できないのかな。


──なるほど。でもドライというのは作品の宇野さんを見るに、すごく腑に落ちる気がします。

宇野 周囲から情が無いとか言われることがありますね。そんなことはないんだけれど(笑)。

──演じる上で何か気をつけていることはあるんでしょうか。非常に繊細な人物を演じる場合が多いと思うのですが。

宇野 気をつけていることと言えば、僕自身感を出さないということに尽きます。上手いなあと思う演者さんには2タイプあると思っていて、その人自身のキャラが立っている人。もう一つはカメレオンのように役毎に使い分けられる人。後者の道を究めたいと常に思っています。僕が好きなジムキャリーエドワードノートンは後者だと思うんですよね。あとはあんまり決まりごとを自分の中で作らないようにしています。毎回、素人が現場に立たせていただいているという気持ちでやらせていただいていますね。

──宇野さんは今年で25歳になるのですが、今後の展望があればお聞かせください。

宇野 僕は一役者であることを全うしたいと思っています。役を与えられたのちに表現できることはやり尽くしていきたい。それ以外は特にいまは興味がないです。来年クランクインする映画もそれなりに重たいテーマを扱います。まずはそういった作品づくりを一つ一つこなしていきたいですね。

(新宿/喫茶ボンにて 2018年11月6日) 

 

(This is a work of fiction.The characters, incidents and locations portrayed and the names herein are fictitious and any similarity to or identification with the location, name, character or history of any person, product or entity is entirely coincidental and unintentional.)

 

 

 

自家製人生相談室(2018年6月~)

 私は普段、文筆家として活動をしており、あまり人前に出ないため、読者とのコミュニケーションスペースとして私書箱をweb上に開設しており、いつでも手紙を投函できる仕組みにしています。この取組みは2018年の6月からひっそりと始められていて、いままで送られてきた手紙の総数は5か月で6,000通にもなります。手紙の内容は ①作品の感想  ②お悩み相談  ③悪口  ④自身の作品投稿 という4つに大別できます。投稿される手紙の全てに目を通しています。今回はお悩み相談(とりわけこのカテゴリの投函数が多い)からいくつかピックアップして回答をしていこうかと思います。目は疲れるし、肩は凝るし、他人の問題なので、回答を考える間は他の仕事が手に付かず参ったなあ、という感じでしたが、皆さんが普段考えていることを触れられる大事な場です。ご協力いただいた方にこの場を借りて感謝申し上げます。

 

①──以前、モラルについて「モラルというのは時代によって上がったり下がったりするものではない」と、仰っていましたが、「おおらかさ」「寛容さ」についてはどうでしょうか? 最低限のデリカシーは必要だと思いますが、社会から「おおらかさ」「寛容さ」が失われ、叩けるものは徹底的に打ちのめす。そんな暴力的な思想がはびこっている気がしていて、それは神経症的なところまできていませんでしょうか?なんだか息苦しい社会だと思いませんか? (ダージリン、男性、28歳)

 たしかにルールや規則、こうじゃないとというケースが昔ほどではないですが、不文律として残っている気がしますね。現在の世界はおおらかであることを装うことが一つのブームであるように思います。私も自然におおらかで寛容な人に会うとハッとするので、いつの間にか自分も器量の狭い人間になっているんでしょう。多様化が進んでいるようで画一化も同時に進んでいる印象を受けるので、思想に侵されそうなとき、独自のルールで他人になるべく迷惑をかけず、いかにはみだすかが重要なんじゃないでしょうか。

②──昨日、妻と大喧嘩してしまいました。謝罪したのですが、わだかまりが消えていないような気がします。口論に腹が立ち、こちらから怒鳴ってしまったことも反省しています。腹が立っても怒鳴らない秘訣を教えてください。作品に出てくる男性は、女性に対して怒鳴ったりしませんよね。 (馬車馬、男性、42歳)

 なるほど。日々を生きているとそういうことありますよね。僕はすぐに謝ってその場を収めようとしますね。真っ当な理由と謝罪する態度が相手に伝われば何とかなります。どうしてもそれらが用意できない場合は、時間が経つのを体育座りで待つしかありません。いつだって男の方がバカで弱いと思うので、その戦法しか取れませんね。打ちのめされた時は後日美味しいものを食べて、ぼーっとします。

③──こんにちは。私はひとりランチが苦痛で仕方ありません。仕事柄、ひとりでご飯を食べることが多いのですが、他人の目が気になるのと、ごはんを待っているあいだの時間がどうにも手持ち無沙汰で落ち着きません。どのように過ごせばよいのでしょうか。(小太り、31歳、女性)

 僕は大体一人でご飯を食べるときは外をぼーっと眺めながら待ち、ご飯が出てきたらサっと食べて店を出てしまいます。色々と回りの目が気になったりするのなら、自分の内面とか生活を見つめてみてはいかがでしょうか。夜の営みの新しい展開を考えてみたらどうでしょうか。行為にでんぐり返しを取り入れてみようとか、事のあいだに急にグアバジュースを飲んだらどういう反応をされるだろうか、とか。
 

④──将来の夢がありません。親や友人からは「将来何をしたいか、何になりたいかを見据えて人生を過ごしなさい」と言われますが、どうしても思い浮かびません。ハヤシさんの場合は将来こうなりたいという明確なビジョンがあったのでしょうか? (i'm here、17歳、女性)

 僕は気づいたらこうなっていたというのが正直なところです。何となく筆を取って書いてみたら、それが運良く世にでただけで将来これで食っていこうとか何も明確なビジョンは持っていませんでした。何かとビジョンが明確な人は話していてすごいなあと思います。死ぬまで固められる自信がありません。いまなにをやりたいかを考えるのがビジョンといえば、ビジョンです。

⑤──好きなことは仕事になりえるのでしょうか。私は画を仕事にしたいと思っています。ただ、友人からは好きなことは仕事にしない方がいいと言われます。どう思われますか? (文京区在住マン、21歳、男性)

 別になりえると思いますよ。そうしてる人なんていくらでもいるんじゃないでしょうか。嫌いなことを仕事にする人はM気質が過ぎると思いますが、結局そういうのってスタンスの問題でしょう。私は昔、違う仕事をしていたけど、文筆業にシフトしてから筆を持つとぐったりする時がありました。好きなことを仕事にすると、そういう跳ねっ返りが凄いです。自分の心が動くままに決めたらいいと思いますよ。

⑥──本当に困っていることや悩んでいることを人に相談しますか。私はなんでもかんでも人に話して、方針を作っていくタイプだと思っているのですがいかがでしょうか。先日も恋愛相談を友人にしました。 (響、29歳、女性)

 僕は本当に悩んでいること、困っていることはなるべく他人に話しませんし、話せないですね。他人に話せるという時点でわりあい整理ついちゃっていませんか。まだそこまで長い人生を生きているつもりはありませんが、これまでなるべく自分でどうにかやってきました。自分がどうするか、どう考えるかが肝のような気がします。コツをあえて挙げるのであれば、偏屈にならないことと直感を信じること、よく寝ることくらいでしょうか。

 

(This is a work of fiction.The characters, incidents and locations portrayed and the names herein are fictitious and any similarity to or identification with the location, name, character or history of any person, product or entity is entirely coincidental and unintentional.)

 

終わり

 

「Chance」

昨日、「Summer Sonic 2018」に行きました。

 

僕は昔と比べてライブというものから遠ざかっており、

チケットを取って、ライブハウスに足を運ぶ

という足労をしなくなっています。

それは言い方を選ばないとすると、

「内容の想像がついてしまう」から。

 

僕は音楽でご飯を食べていないし、

特段めちゃ詳しい訳でもないです。

だけど、身の程をわきまえずにこう思ってました。

「大抵のライブは定型化できちゃう」

SEが鳴って、20曲前後の楽曲をやって、

アンコールをやって終了。

生身で音を聴く、会場のお客さんの反応を見る、

アーティストがどんな思いでやっているか見るという

ライブでしか経験できない要素は確かにあります。

ただ、直近の僕はアンテナが萎んでしまっているのか、

ライブを選別するフィルターが細かくなっていました。

 

今回のSummer Sonicの特徴として、

初来日のアーティストがかなり多かった。

Knox fortune、Rex Orange County、

Tom misch、jorja smith....

なかでも僕はChance the Rapperにかける

期待が大きいものがありました。

 

17:40、マリンステージにてChance the Rapper降臨。

初めのMixtape、Bleesingの2曲は

直前のTom Mischを見ていたので、

惜しくも見逃してしまいました。

(Tomも凄い。21歳で艶やかな曲をやる技術。

音楽に年齢が関係ないことを思い知らされた。

The Journeyのギターソロを観れたのは感激モノ。)

なので3曲目の「Angels」から観ました。

 

 

なぜこんなにChance the Rapperを観たかったのか

前日、Twitterにて大阪のパフォーマンスの

感想を読んでいたからです。

「観客少ねー」

「レスポンス小さくない?」

「Chance、もう来日しないかもな」

こんなツイートがTLを賑わしていました。

本当に来日してくれなくなるんじゃないか?

生で観るの最初で最後かよ?

ほんのちょっと、そんな想いが心の片隅にありました。

 

ライブは65th&Ingleside、Work Outなどを畳み掛け、

DJ Khaledが入って来てからのi'm the oneからの

「acid rap期」の楽曲群になだれ込んだ。

おいおい、最高じゃないか。

人柄と神のご加護感が出ちゃってるじゃん。

足元の飲料水は誰かに蹴られ消えてしまっていた。

 

そんな中、一点だけ気がかりなことが。

観客のレスポンスが小さい気がしたのだ。

Chanceは歌えない観客にもアプローチし続ける。

MCで「英語の歌詞、あまり分からないよね」と

場を理解してたみたいだけど、

観ているこちらが悔しい気持ちになった。

 

その瞬間はSame Drugsのときに突如起こった。

ピアノが鳴った瞬間に上がる大きな歓声。

We don't do the same drugs no more.と

Chanceよりも大きな声で歌うオーディエンス。

イヤモニを外して、目を見開くChance。

笑顔で拍手する。

「おい、マジか。みんな歌えるんじゃん!」

と天を仰いで、両手で目を覆った。

 

ここで僕は泣いてしまった。

”Drugs"を分かち合えない理由の喩えとして歌った曲。

その曲で完全に会場が一つになった気がした。

 

僕は今までライブで泣いたことが無かった。

最近萎びていたと思ったアンテナ。

事前に分かった気になることが、

どんだけアホなことか。

「あ、シンプルに音楽で感動できんじゃん!」

ということをあらためて気付かせてくれた。

すごくうれしかった。

 

「来てない人、もったいないね」という感想ではなく、

「次はみんな誘って、愉しもうぜ!」というライブだった。

 

「日本は文化後進国かもしれない」

でも、そんなことは全然問題ではなくって。

そんな見方を助長する発言を俺は真っ向から否定したい。

誰も悪くないから。

 

いまwebで「Same Drugs」のライブ映像を見ている。

人間関係に疲れた会社員

スクールカーストを呪う小学生

変なオヤジに迫られるキャバクラ嬢

夫婦喧嘩中の奥さん

この曲を聴いて、元気 the rapperになってほしい。

 

Bleesing(Reprise)の和訳でこの走り書きを締めくくる。

昨日のライブと、これからの僕らを

示してくれてるんじゃないかと思った。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

自慢はしない ただパフォーマンスをするだけ

言い聞かせなくてもいい アツくならなくていいんだ

俺は生き返らないし 信仰を隠さないから

神様だって俺のライムをチェックするハズさ

「すげえいい曲じゃん」って思ってくれているはずだよ

通じ合ってるしな

マイケルを踊ってたんだ 高校生のころに

今までもこれからだってミックステープでリリースするよ

俺たちは出来ないことに挑戦すべきなんだ

Hebru Brantley(シカゴのアーティスト)で家をいっぱいにしよう

俺は出来ることをやらなくちゃ

ミスタームファサ(ライオンキングのアフリカライオン)と呼んでくれ

 

今までなんとかやってこれた

それは君が俺にあたえてくれたものなんだ

君が持ってきてくれたんだ

準備はもうできたよな

出来たんだよな?

架空のインタビュー

いま日本の若手バンドで一番勢いがあるといっても過言ではないであろう「Minnesota shore」。今年だけで言っても、1月に新潟で開催された「UJI ROCK FESTIVAL'18」に出演。デビューから2年半の短いキャリアながら、KIMONO STAGEの約3千人を沸かした。また5月に開かれたUKでの音楽フェス「Lollapalece」に出演。日本人の出演はフェスの歴史から見ても異例である。英国での評価もウナギ登りと言うから驚きだ。またフロントマンの飯竹はバンド活動と並行し、自身でwebメディアを運営しており月間1億回のPV数と並の出版社でもなかなか出せない数字を出している。いまでは30人もの人間を抱える1つの企業となっている。彼らは日本の音楽界におけるドン・キホーテなのか?眼光鋭いビジネスマンなのか?2ndアルバム制作中の多忙なスケジュールの中、そのフロントマン飯竹とベースを担当している岸に話を聞いた。

取材・構成:シュザイタイチ 撮影:サツエーコ

 

──バンドを始めたきっかけを教えてください。

飯竹浩二(以下、飯竹) 学生の時に僕が中心となって始めました。第一志望の大学に入れなかったこともあって、その反骨精神で何かやりたいな、と。で、ジャズ研究会というサークルに入るのですが、結構皆さん本気でジャズをやっていて。当たり前ですけど(笑)。したら、もう全然練習に参加してない当時の岸と近藤(ドラム、コーラス担当)が喫煙所にたむろっていて。「あっ、ダメな人たちがいる」って。


結構バンドは本気でやっていて月に1、2回はライブをしていたりしていたのですが、就職を機に一度だけ1年半ほど休止しちゃうんです。日経200に載るような結構大きな企業に採用されてしまって。忙しかったですねえ。

岸浩一郎(以下、岸) 僕は大学卒業後は就職せずにフリーターをやっていました。レンタルビデオ店と定食屋を掛け持ちしていて。都会暮らしの若い人にありがちなライフスタイルですよね(笑)。しばらくしてから、飯竹から突然電話が来て「仕事変えた。時間が出来た。バンドやろう。」って(笑)。

飯竹 メーカーの社員やっていたんですが、出版社に転職したんですよ。したら、前職と比べて暇なんですよ。全く期待されてなかっただけかもしれないけれど。(笑)だから、もう一度音楽やれるなあ、と。で、前の職場に鍵盤とかサンプリングとかそういったものに強い青山がいて。今、サポートで入ってくれているんですけど。それで、今のメンバーに固まったという感じですかね。

 当時は不思議な感覚でしたね。久しぶりに会ってみて、「お、生きてた?」みたいな(笑)。

──んで、すぐに三鷹にスタジオ(現:ユーロスタジオ)を設立されて。普通いきなりやれないアクションですよね?(笑)。

 僕の親が使ってない土地があるというので、そこ使えるじゃんと思って。それぞれに仕事を抱えているので、分業しないと先に進まないんですよ。毎回時間合わせてスタジオに入る訳にもいかないから。だから、皆でお金を借りてスタジオを建てました。

──そこでミニアルバム「elephant statue」が制作される、と。

 はい、結構スピーディに出来ましたね。飯竹がね、曲を思いつくスピードが結構速いんですよ。制作は飯竹と青山くんがアウトラインを作って、肉付けをみんなでするというのが基本的なスタンスです。

飯竹 青山くんと近藤が結構いろんなジャンルの音楽に精通していて、かなり助けられましたね。僕だけが作るとどうしても既聴感のあるものになってしまうので、ひねくれた要素を入れてくれることで良い意味で異質な曲が出来ています。

──そんな中で、あの「ulps」からツアーの招聘があって?

飯竹 あれは事件でしたね。あれが無ければ、今のMinnesota shoreは無いです。だって学生時代から聞いていたインダストリアル界の重鎮が来日するからそのツアーの前座をやれと突如僕のgmailアカウントに来て(笑)。もうスケジュールを見ると会場の規模が凄いんですよ。今まで僕らは100人入るのかな?みたいなハコでやっていたのに、いきなり何千人単位で……(笑)。

 自分たちの機材で大丈夫なのか……みたいな(笑)。

飯竹 その時普通にガラクタみたいな機材でやってましたからね。近藤なんて自分のドラムセット持ってなかったし。

 

──で、半年後本当にそのツアーが実現して、そこからの反響はどうでしたか?

 「なんじゃこりゃ」というくらいメディアの露出が増えましたね……もうあのツアーをきっかけにレンタルビデオ屋などのバイトも辞めれるくらいに。でもあまりに現実味がなくて、同時に「このスピード感で続けられるのかな」と思い始めましたよね。音楽で飯を食うなんて全く思っていなかったですし。

飯竹 結構リアリストなので、この勢いはいつまでも続かないなと思うところがあって。だから自分が好きな領域で何かやれないかと考えて、在籍していた出版社のコネを使ってwebメディアを立ち上げました。

 今そこのライターとして在籍させて頂いているんですが(笑)。

飯竹 思うのは、やっぱり色んなことを運に任せたくないということですよね。人道を全うするというと大げさかもしれないですが、防御策を出来る限り張り巡らせて、結果どうだったかという風にしなければいけないと思うんです。どのみち人は生きていかなければいけないのだし、音楽をしているときはどこかに基準を合わせるという要素は少ないのですが、webメディアの運営やその他のお仕事はビジネス的な観点で、求めてきている人の希望に合わせてやっています。生き方が多様になってきている現代なので、自分の好きなことだけやって生活するというのにはある種危機感を持たなければいけないと思っています。

 

 おー、耳が痛いですね(笑)。

──ビジネスマンの観点とバンドマンの観点、主軸はどちらに置いているんでしょうか。

飯竹 ビジネスマンの観点を大事にしています。作曲以外のところでは特に。

──興味深いですね。バンド全体としては一体ですが、個人の考え方の拠り所はどこにあるんでしょうか。

飯竹 みんなそれぞれあるだろうけど、僕はやはり就職してからの経験だったりが大きいです。決まりごとの中である程度生活していて、それは一見自由じゃないんですけど、なにも制限がないとそれこそ不自由だということを感じて。だから、結構ビジネスライクにやっていると思いますよ。だから全部自由気ままにやってますみたいなところなんて当たり前ですけど、何もないです。

 僕は意外と単純に今風の若者の目線に近いと思いますよ。今年で僕は26になるんですけど、書籍からしか情報を得ていないんじゃないかというくらい本しか読んでいません。PCも滅多に触らないし、テレビなんて中学入ってから見てないんじゃないかな。いまの若い人ってどこか自分の好きなこととか興味とかに特化している気がするんですよ。だから、その感じに近いと思っています。

飯竹 バンドという共同体ではあるけど、馴れ合いみたいなところはないですね。いわば会社組織に近いです。ダメなところはダメだと言うし、ダレていたら引っ張りあげる必要がある。でも、そういう関係が凄く快適ですね。

──なるほど。ドライに活動をしている印象があったのですが、1年前くらいのライブで「もっと想像力を働かせるべき」という結構熱のこもったMCがすごく印象的だったのですが。

飯竹 その頃、公私共々バタバタしていて。僕の発言が各所に取り沙汰にされて、当時所属していたレコード会社からすごい注意を受けたんですよ。そのフラストレーションから出たMCですね。でも、大人の言う事を文面そのままの意味で取ることほど、アホなことないと思うんです。その先、その裏の文脈を汲んでいかないと、それこそ思考停止じゃないか、と。そこは結構バチバチしていました。自分のフィルターに透過させて、その結果間違っていても価値が生まれるじゃないですか。そっくりそのまま返す伝書鳩なら要らないと思っていたので。

──その後、レーベルから独立して、制作される発表しています。

飯竹 はい。一連のやりとりも終わったので、腰を据えるにはどこがいいかな、と考えまして。レーベルに所属する必要性もそこまで感じなかったし、ルールも自分たちで定められるために今の決断をしました。簡単なことではなかったのですが。

 

──今年の11月に2ndアルバムが発売されるとアナウンスされました。その作品についての今後の展望についてお聞かせください。

 とりあえず1stの手探り感が薄まったせいか、客観的にみると良い意味でこなれてきていると思います。これでウケなかったら手探り感を出すために当分音楽から離れてまたイチからやることを考えなきゃいけなくなりますね(笑)。

飯竹 あんまり深いことは考えておらず、素で作ったので、やりたいことをやったんですがいかがでしょうか、という感じです。これからは何となくなんですけど、実験的な試みをしたいと思っています。メンバー40人くらいにしたり、アカペラアルバム作ったり、考えだすと全然取り留めもないですね(笑)。

 曲数からみても16曲ボリューミーなのですが、難産ではなかったですね。次は難産な作品を敢えて作ろうかということを話したりしています。全曲コラボレーションしちゃうとか(笑)。

──今後は海外のライブを積極的にされると聞きました。もう一回りしたら、活動規模も倍くらいになっているのでしょうか?

飯竹 そうだと、いいですよね(笑)。バンドは存続できるのかな?

 解散するときはやることが思い浮かばなくなっちゃったときですかね。それでもまあ、レンタルビデオ屋には戻らないと思いますよ。次は漁船にでも乗ろうかな(笑)。