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Humor

ハヤシです。色々その時々書きたいことを書きます。

ハイエスト 愛

・「なんとなく」という感覚について

 歳を重ねるにつれて「なんとなく」という感覚を認めるスペースは段々と狭くなっているように感じる。ビジネスの世界はもちろん、人付き合いや表現など多方面で通用しなくなっていく気がする。当たり前である。何の説明になっていないから。僕は昔から「なんとなく良い」とか「なんとなく好き」をそれとなく信じている。しかし、その考えはそれ以上にも以下にもならないことが多い。また人に理由を求められたり、会話の中でも言語として表出するのが困難な時がある。(理由ということですら、昔の僕からしたらナンセンスなことだった。)大人になるということはこういうことなのかな、、と頭を抱えることが増えてきた。でも、言葉に出来ない考えや想いの方が信じれるし、育てがいがあることもある。(言語の表出は一つの結論と考える。)20代というお年柄、子供と大人の過渡期といえばそうだし、考えだけが先行し、それが災いして起こるしんどいこともたくさんある。色々に折り合いをつけていきたい。完璧なものばかりでは何所か息苦しい。

 

・日本語について

 日本語はデリケートで懐の浅い言語じゃないですか?問題。言語表現とする文芸とか音楽では幅広い表現が可能だし、修飾のバリエーションが多いので情景や感情などを容易に緻密に記せる。しかし、近頃コミュニケーションを取る際、これほどまでに堅っ苦しく言葉を尽くさないといけない言語ってあるのかあ?ということを感じている。英語のように一語が広領域をカバーしているわけではないので、「いやいや、これ察してよ〜〜!」みたいなことが意外と伝わらない。僕のような頭の足らない人にとってそれはカナリ大問題で、言葉を尽くす状況に億劫になりやすい。要するに(僕の)怠惰という性質上、自分本位のアバウト感に無意識に頼っていたのかもしれない。日本語はそういう意味で厳格なので、格好の学習ツールになる。日本人である以上、日本語能力を高めていきたい。適切な時に自分なりに言葉を尽くせないのは双方に失礼だ。

 

・焦りについて

 最近、生まれてはじめて用を足した時に、トイレットペーパーがないという状況に陥って、本当に焦った。本当に焦ると、何も考えられなくなるか、笑うかどちらかしか、ない。買うという選択肢を取ることはできない。

 

・秘密の花園について

 終電を逃した身でふろふらと辛うじて起きている状態で高円寺周辺を歩いてると、古びた青いスーツケースが道に立てかけてあった。ふと持ち上げてみると何だかやけに重い。でも、いまのご時世、こういうものに多量のお金やら怪しいクスリやら死んだヒトやら何が収納されとるか分からんので、そっとしておいた。それと紐付いて、人の持つパンドラボックスへの踏み込みは文字通り要らんなと思いながら、着くファミリーマートの尊さよ。