行方、またその顛末について

 

季節は春、3月に差しかかろうとしています。

寒さが身を縮める場面が多くなってきました。

これから段々と暖かな陽が射す日が多くなると、

嬉しくも悲しくもあります。

未だに和暦で問われると、

平成2・・・何年だっけとなることがありますが

もう50日以上も平成29年を過ごしているのですね。

 

 

守っている信条は人それぞれあるでしょう。

「一期一会」や「人に嘘をつかない」だったり。

それはそれぞれに良いと思うし、

人様に迷惑をかけなければ、

どういう考えを持っても、

別に否定する筋合いは他人にあると思いません。

(ここらへんは母の教え)

 

いまスタバにいるんですが、

自分の信条をコーヒーを飲みながらざっと洗い出してみると、、

⒈考えは流動的

⒉自分の器が基準

⒊ずっと正直でブレないのは書物くらい

くらいなもんかな、と。

 

⒈考えは流動的

自分もそうなんですが、人間、

考えがずーっと変わらないわけないんです。

だから、絶対そうだよ、

100%こうだよという物言いに僕は違和感を感じざるえません。

そういう言い方をするなら、

先頭に「現時点では」、結びに「こう思う。」

を心の中でも良いので言うスタンスでいるべきだと思います。

押し付けがましいから。

(でも押し付けがましくない人っていますよね、

あれ、羨ましい能力だなあ〜。)

でも、考えを表明することはコミュニケーション上、

絶対に必要なので、どんどんするべきだと思います。

(僕は出来ていないけど)

 

昨日までAちゃんが好きだったのに、

次の日は中条あやみちゃんが好きなときとか

あるじゃないですか。

 

⒉自分の器が基準

理解が出来ない人や現象に会ったときは、

受け入れる器が自分に無いからだっていう風に

考えるようにしています。

相手が出す液体を受け入れる容器が自分の手持ちに無い、と。

そういう風に考えるとストレスも減るし、

他人を矯正しようみたいな考えも無くなるので。

相手に合わせた容器を作るか、

不要と判断するかはその人が時間作って、

ゆっくり考えればいいと思います。

 

⒊ずっと正直でブレないのは書物くらい

これって⒈と通じるのかもしれないのですが、

人間の言うことを100%受け入れることはあんまりないです。

無思考に全部取り入れることは絶対しないです。

「なんだそれ、当たり前だろ」と思われるでしょうが、

僕はここまでくるのに、静かに凄く苦労しました。

事実、18歳くらいまでは他人の生き方をトレースするしかなかった。

でも、僕は書物や作品に対してはワキが甘い。笑

優秀な人が作ったモノを優秀な人が校正している。

プロ同士が手を組んで、世に考えや作品を輩出している。

考えに良し悪しはあるので、すこーしフィルタは

かけるべきでしょうが、

僕では考えが至らないので、作品を読んだり、

見たりして感じたことは覚えられる限りは

抽斗に入れていこうと考えています。

 

無意識に思っていることはもっと多くあるかもしれないけど、とりあえず。

 

 

1年半ほど抱えていた悩みに

ひとまず終止符を打ったと思ったら、

また新しい悩みを抱えてしまった。

分かっていたことなのに。

でも、どこかそれを望んでいたフシが

あるのかもしれない。