Humor

ハヤシです。色々その時々書きたいことを書きます。

夜更かし男

  みなさん。いかがお過ごしですか。時期も10月になりまして、朝、窓を開けると秋の香りがするようになった気がしてましたが、梅雨みたいな天気になっちゃいましたね。2016年も残り3ヶ月ちょい。私的には年内にも内外両面ドドドッと自分を変えていく算段をしているので頑張りたいです。(仕事の見積もりが甘いと常々言われますが、自分がヤル気になっとることくらいは達成させたい所存)

 

   最近、業務が押し付けられる感じでやたら増えており、いまは凌いでいますが3ヶ月後には干し芋みたいな顔になっているであろう状況です。ある日も爆弾みたいな仕事の引き継ぎがあり、地獄やな…と思い、コールタールのようなストレスを抱えて山手線内回りに揺られました。その後、僕は西武新宿線で帰途につくのですが、その日、隣の席には子連れが座っておりました。赤ん坊の顔を見ると、もうそれはそれは異常にかわいい。この世の汚れを知らず、これから想像もしないことの連続であろうけど、なにも経験したことがない無垢な顔がそこにはありました。僕は赤ん坊と目が合うと、反射的に変顔をして笑わせようとするのですが、(変顔が通用しないと、母子ともに怪訝そうな顔で此方を見てくるので、心で泣く)その日はもう絶好調。僕ははたからみたら放送コードに乗せられない人間のように変顔バリエーションを披露していました。目をかっ開きながら、舌をべろべろしていると、「赤ちゃん…いや赤さまが欲しい!!赤さまとお風呂入りたい!街へ繰り出したりしたい!」という内なる声が!しかし!いますぐに手に入れることは叶わない、誘拐する訳にもいかないし、僕は身体の構造上、赤さまを身籠ることは出来ません!さあ、どうしたものか!何も考えずにため息まじりでカツカレー食べました。オーケー人生。

 

 「怒り」という映画を見ました。以下、ネタバレに留意して綴ります。

 

 「怒り」のあらすじ:ある夏の日。八王子で夫婦が殺害される事件が起きた。その現場には、手のひらに付着した血液で書かれたとされる「怒」という文字が残されていた。その犯人は「山神一也」と判明するも逃亡、整形をして1年以上、今もどこかで”普通の生活”を送っているという。そんな折、東京と千葉と沖縄の3つの舞台で「山神一也」と思しき人物が。彼ら三人は身元不詳だったり偽名を使っていたり、無人島に一人で住んでいたりと、一様に怪しさ満点。やがてその三人は人生のターニングポイントともいえる人物に遭遇し、それぞれの暮らしを営んでいく。しかし、彼らのパートナーらは報道で明らかになっていく山神一也の情報を見るに連れて次第に"山神一也似の男"に疑念を抱いていく。果たして犯人はこの中に存在するのか。彼らと出会う人々は、葛藤を乗り越えられるのか。

 

 なんでいきなり映画の批評をはじめたんだ??!こいつ!ってなるでしょうけど、その理由は明快、「とんでもない傑作」だったからです。邦画でこんなに涙を流したのは、記憶にある限り「空気人形」以来でしょうか。 役者陣はそれこそ全員が主役級。週刊少年ジャン*でよくある強さのインフレ状態。脇を固めるのも、ピエール瀧池脇千鶴高畑充希とこれまた豪華。なので、名演技が随所で光ります。僕はある人物(犯人)があるシーンで見せる「眼」が焼き付いて離れません。あんな恐ろしい眼ありますか。(ちなみにmy favorite 眼の演技はアメリカンヒストリーXのエドワードノートン。これはちょっと凄すぎて、ボクに衝撃が走った。)あとは役者の吐く言葉がこれまたすごい。

「信じてくれてありがとう」

「難しいよな、本気は目に見えないから」

「2人で抱え込むことないだろう」

「分かろうとしない人にはどんだけ伝えても伝わらないんだよ」 

文章だけで見たらなんてことはない科白です。 しかし、声と文脈、状況が交差すると脳髄と胸を射抜くのです。そして自分の中に堆積していく。ほんと、映画の科白には勇気づけられたり、教訓を得ることができます。

本作の登場人物は全員自己猜疑心に苛まれている節があります。(僕自身にもある。)人間みな平等だろうよ、と言っている人(ある意味タフな人)は一生共感できない感情ですね。でも確かにこの世の原理原則は平等じゃないから。また、個人の感情なんて本当に些細なもので、その基では常識があり、習慣があり、モラルがあり、法律があります。こんなお堅いシステムで暮らしている以上、デリケートな人ほど住みにくい世界です。でも、登場人物もそうであったように、何かしら別の結論に行き着くことが出来ると思います。それは現実世界じゃなくシステムの枠組みを外した、人と人との関係性の中に内包される別世界でしっかりと受け入れられる。それが「救い」なんじゃないか。その「救い」をしっかりと秘めて、生きていけばよいんじゃないか、と。さて、それぞれの人物にどんな結末が用意されているのか、それはぜひ劇場で確かめていただいて・・・。まぁ万人に勧められないけど、少なくとも僕は観て良かった。

夏を視つめすぎるな

■夏は余力で秋へとやり過ごそうとしています。みんな、元気ですか。夏が始まった感覚は5月のGWからあったので、例年より体感「夏」時間が長かったような気がします。色々なことがありました。人生の過渡期25歳でたくさん悩んでおりますが、万年通して過渡期の僕は生きることは悩むことと同義だという割り切りのもと息をしています。

 

■枕を買い換えました。前は某池亜の枕で寝ており、肩の接地面がよくわからんことになって、寝ると肩が凝るという摩訶不思議アドベンチャーな睡眠をとっていました。んで、これではあかんと思い、10倍の値段のする枕を熟慮に熟慮(20分)を重ね購入しました。うきうきしながら寝てみる。すると…こっ、これは!寝やすい!!なんだこれは!これは…母ちゃんの膝枕?いやこの安らぎは…ペールギュント・朝をかけてテーブルロールを焼いてとかなんちゃらかんちゃら…とか考えてたら寝れませんでした。

 

■憧れの人とドラムを叩いた。僕が中高のころからら好きなあるバンドの方のスタジオにお邪魔をして、飲みの代金を支払う代わりにドラムを教えていただいた。「ハヤシのドラムは緩急がつくといいね」など生き方にも通じることを丁寧に教えていただきつつ、高校生の頃の僕にこの風景を見せたら卒倒しちゃうだろうな、とか思いつつの黙々とルーディメンツ。こっちに住んでから、なにかと人の出会いには恵まれていてパワーをいただいている。なんかこちらが何もしてない気がして大変申し訳ない気持ちになるけども、大変幸せです。ありがとうございます。

 

■知らないことをスルーして生きてきたことを悔いています。僕は興味のある事項だけ理解を深め、知らないことを知ったような気になって生きてきた節があります。本とか読んでいてもそうです。前後の文脈からこうだろうなとあくまで自分の頭の中で想像したものを解としてきた場面が多くありました。その場しのぎというやつですが、この歳になるともうそんなモノは通用しません。ちょいと気になっちゃったことは面倒でも分からなかったらちゃんと理解するといいと思います。それが後々じわじわと効いてくるし、その人自体になる可能性があります。そんな教養がつけば、人として魅力的になる可能性がある。魅力的になれば、人が寄る可能性がある。人が寄れば、人生の伴侶を見つける可能性がある。まあ、僕のようにその場しのぎで生きているとこんな底の浅い可能性の話しか出来ないので、皆さんはこうならないようにしましょう。

 

◼︎血液型はほんとに性格を左右するんでしょうか。だとしたら、入れるハコが4種類しかないって…それがカテゴライズの浅さなんでしょうか。

外道マエストロ

 

 ここ一番、ハマりまくってるアーティストがいる。メルボルン在住アーティスト「Japanese Wallpaper」だ。タワレコの試聴機の前で聞いたあと、気づいたらタワーレコードのロゴが印字された黄色い袋を持っていた。ジャンルとしてはチルウェイブとかドリームポップになるのかな。その界隈の音楽は、僕の乏しい感受性では一緒に聞こえてしまってケッコー食傷気味になりがち。だけどJapanese Wallpaperは違って、僕の言葉で現すと「サービス精神のある珠玉のエモ音楽」あたりの凡人表現が限界。非常に聴きやすいけど、決して凡庸じゃないのだ。僕の認知しているインターネット界隈に広がる若手DTM勢の中で頭ひとつ才能が抜きん出ている。(なにやらM83の前座をやるらしい・・・20歳でこの経験はすごい。)あと海外の音楽ってリリックの和訳を見ると「本当に本人はこういうことを言いたいのかな・・・」みたいなことがよくあって、違和感を感じるのだけれど、訳者が非常にいい訳し方をしていて読み物としても凄くいい。ひとつ気に入ったリリック訳を抜き出してみる。

 

「あなたは虫の知らせを感じるけれども実際に行動しない あなたの心に中に何かがあるのにあなたは話そうとしない 太陽は降参し わたしの気持ちは諦めさせたがっている」

 

名訳だと思う。僕は頭を垂れる。

 

女性シンガーAirlingとコラボしたMVのリンクは以下。ヒップホップのビートに澄み切った歌声。何よりもこのトラック。

Japanese Wallpaper - Forces Ft. Airling (Official Video) - YouTube

 

 

 8月になった。今年も残すところあと5ヶ月。夏もラストスパート。花火やってねえんだよなあ。誰か誘ってください。2016年は結構どしょっぱつからタフで、いまも結構タフ。タフタフ尽くしなので、わずかな休息の瞬間に息を整えているような状態で今までやってきている。(お前、そんなことならブログやめればいいじゃねえかともう一人の自分が的確なアドバイスを出しているのを無視。)もう2ヶ月もすれば、僕も26になるのだけど、若人という盾もガンガン朽ちてきていて、裸一貫で生きて行く準備おk?と問いかけられている気がする。まだ若いんだけど、そうでもないみたいな不思議な年齢なんじゃないか。僕は若さゆえか、大学生の頃から俯瞰癖があることを自覚していて、例えば自分の誕生会とかでこの状況で自分どうなっているかという視点に立つことがあった。本当に失礼な話だ。自意識過剰!きも!だとかナルシストかよ!という文句は置いておいて、皆さんはどうなんですかね。あるんでしょうか、こういう感覚。ここ最近そういうの脱しつつある自覚があるのだけど、そういう自覚すらも神の視点ですよ、という見方もできて、いや、ここ無限ループ。

 

 

 こっちに引っ越してきて特に感じるけれど、皆さんには肩書きがある。東京の人は特に顕著だ。職業だったり、趣味を深化させたものだったり人さまざま。いざここで、自分の肩書きとは何かということを帰りの山手線で考えてみた。おそらくサラリーマンということになるのだけど、それじゃあ自分の意地汚い欲求が満たされない。じゃあなんだ、ドラマー?いやいやそんな名乗るほど上手いもんでもない。企業名?そんなものは太った山羊にでも食わせておけばいい。肩書きっておそらく気づいたらそうなってたっていうのが一番健全で綺麗だと思う。けれど、俳優目指して、役者になりましたっていうハングリーな感じもいい。ここで問題にしたいのは、つながりの薄い人はどうしても肩書きに目が移ることが往々にしてあるということ。それでは悲しいし、その人自体をみている訳ではない、一部は覗けるかもしれないけれど。クリスチャンベイルだって、エリートビジネスマン、裏ではサイコキラーって役をやっていたし。

 

 

 なんで3みたいな答えのでない難しいことを書いたのかって?「山羊にでも食わせておけ」って一文を書きたかっただけだね。ははは。

ハイエスト 愛

・「なんとなく」という感覚について

 歳を重ねるにつれて「なんとなく」という感覚を認めるスペースは段々と狭くなっているように感じる。ビジネスの世界はもちろん、人付き合いや表現など多方面で通用しなくなっていく気がする。当たり前である。何の説明になっていないから。僕は昔から「なんとなく良い」とか「なんとなく好き」をそれとなく信じている。しかし、その考えはそれ以上にも以下にもならないことが多い。また人に理由を求められたり、会話の中でも言語として表出するのが困難な時がある。(理由ということですら、昔の僕からしたらナンセンスなことだった。)大人になるということはこういうことなのかな、、と頭を抱えることが増えてきた。でも、言葉に出来ない考えや想いの方が信じれるし、育てがいがあることもある。(言語の表出は一つの結論と考える。)20代というお年柄、子供と大人の過渡期といえばそうだし、考えだけが先行し、それが災いして起こるしんどいこともたくさんある。色々に折り合いをつけていきたい。完璧なものばかりでは何所か息苦しい。

 

・日本語について

 日本語はデリケートで懐の浅い言語じゃないですか?問題。言語表現とする文芸とか音楽では幅広い表現が可能だし、修飾のバリエーションが多いので情景や感情などを容易に緻密に記せる。しかし、近頃コミュニケーションを取る際、これほどまでに堅っ苦しく言葉を尽くさないといけない言語ってあるのかあ?ということを感じている。英語のように一語が広領域をカバーしているわけではないので、「いやいや、これ察してよ〜〜!」みたいなことが意外と伝わらない。僕のような頭の足らない人にとってそれはカナリ大問題で、言葉を尽くす状況に億劫になりやすい。要するに(僕の)怠惰という性質上、自分本位のアバウト感に無意識に頼っていたのかもしれない。日本語はそういう意味で厳格なので、格好の学習ツールになる。日本人である以上、日本語能力を高めていきたい。適切な時に自分なりに言葉を尽くせないのは双方に失礼だ。

 

・焦りについて

 最近、生まれてはじめて用を足した時に、トイレットペーパーがないという状況に陥って、本当に焦った。本当に焦ると、何も考えられなくなるか、笑うかどちらかしか、ない。買うという選択肢を取ることはできない。

 

・秘密の花園について

 終電を逃した身でふろふらと辛うじて起きている状態で高円寺周辺を歩いてると、古びた青いスーツケースが道に立てかけてあった。ふと持ち上げてみると何だかやけに重い。でも、いまのご時世、こういうものに多量のお金やら怪しいクスリやら死んだヒトやら何が収納されとるか分からんので、そっとしておいた。それと紐付いて、人の持つパンドラボックスへの踏み込みは文字通り要らんなと思いながら、着くファミリーマートの尊さよ。

Baby 今夜だけ、たどり着きたい....松屋

イントロダクション

1ヶ月以上も更新を止めてしまっておりました。蜘蛛の巣を掃除しつつ、記します。更新を止めていたあいだにも、400アクセスあったみたいですが、、なんでだ?!顧客離反を防ぐために「はてなブログ」の運営の方々が朝夜、血眼になりながら適当にアクセスしているのだろうか。謎、である。

 

ある日

今年に入ってから、映画をあまり観ていない。2014年から本格的に始めた映画鑑賞も今年に入ってから上半期で鑑賞数16本という前年比25%という体たらくぶり。鬱屈とした気分から目を背ける「現実逃避」のために映画を観始めたのがはじまりなのに。なぜ観なくなったかというとDVDでの映画鑑賞に僕のゴミみたいな集中力では耐えられなくなってきたというのが1番大きい原因です。ぼくの家はテレビも無ければ、充実した音響設備もありません。よって、PCでの鑑賞を余儀なくされるのだけど、これがもう嫌がらせかと思うほど全然良さが伝わってこない気が迫りあがりまくってきやがるわけです。じゃあ設備整えれば?とも言われかねないですが、まあそれなら映画館ばかりで見ればよいという超パワープレイ解決策を思いつき、断行しており、もうここ1ヶ月は映画館に行き狂っています。なんかオススメありますか?僕が一番好きな映画と言われていま浮かんだのは、邦画では「トニー滝谷」、洋画では「クラッシュ」です。

 

ある日

最近、僕の読書量は過去最高レベルのペースを刻んでいます。僕の読書量には波があって、全く本が読めない時期と一転、読書中毒になる時期がありましてね。いまハイペースな理由としては「エッセイ」ものが非常に昔と比べて胸に響く年齢になったということがまず一つ。他人の所感に触れるのは一つの快感。あと「村上春樹」作品の面白さに気づいたのが読む気スイッチを押したきっかけになったのかと。(笑)をつけたくなるくらい、月並みなことかもしれないが、いまの僕にとって、本当に面白い。批評とか評論は個人の趣向、好き嫌いをどのような言葉で連ねるかみたいなところがあるので、書かないし、書くスキルもないけど、「エッセイと村上春樹」みたいな、ある層からは鼻つまみモノなセットが今、自分の中でキテいるのアル。

 

ある日

小学生時代のぼくは結構やんちゃかつ変な子供だった記憶があって、学校が終わってからすぐに野球やら鬼ごっこやらに出かけたり、先生と喧嘩するみたいな面もあれば(まあ、いま思えば喧嘩じゃなくてあしらい)、渡部篤郎に憧れて、無口でクールなのが「マジでイケてるし、女の子からモテるっぽい」と、考える節がありました。ですが、まだ小学生。母親がひらがなで書いた自分の名前が歯ブラシにランドセルに入っているくらいなので、あんな色気と貫禄が出ることはなく、それはそれはモテませんでした。それにあの頃すでに人間社会の怖さ、陰湿さみたいなものを知覚する体験をしています。それはある下校時のこと。僕には一応、一緒に帰る子がいるくらいはコミュニケーション能力が備わっていたみたいで、一緒に学校の近所の坂を下っている時のこと、道にそれは立派なう○こが落ちておりました。ソレは当時の僕らからすると、都知事選くらい話しのネタになる物でした。その日、僕は給食後、歯磨きをしようと思っていたら歯ブラシを忘れておりました。目を凝らしてソレを見てみると、見覚えのある歯ブラシがソレに突き刺さっている。3秒沈黙。それこそ村上春樹的、世界の転換現象に苛まれたのか??まさか・・と、疑うのもつかの間、持ち手の部分に紛れもなくマジックで僕の名前。ああ、なんて人間とは残酷で、生きるとは過酷なことよ、、、と6歳の僕は独り言ちたのでありました。皆さんも歯ブラシの管理には用心していただければと思います。今日の私、いや6歳の私からは以上、です。

 

シャンディガフください

  いつの間にかこのブログも1,000人が閲覧してくれたようで嬉しいデス。1人が1,000回アクセスしたのか、知らない内に僕が1,000回アクセスした可能性もありますが、本当にありがとうございます。

  僕は〇〇に似ているというご意見をよく頂戴します。「星野源さんに似てますね!」「野村萬斎に似てるって言われない??」「矢部太郎やん…」「ハシビロコウ……??(分からない方はググッて下さい)」など、人によって意見は様々です。人間なのか、鳥なのか分からなくて面白いし、有り難いことです。それに端を発して、ここ最近、外見と中身のバランスが取れていないと、非常に生きにくいのではないかということを思います。例えば…僕が星野源さんに似ていると仮定して(星野源さんファンは仕事に戻って下さい)、星野源さんの外見やその才能を期待しつつ、僕を見た時、話した時にあまりの凡庸さに、こいつだめやん…という状況に陥りやすいのではないか。逆に僕をハシビロコウだと思って近づいた人は、日本語でコミュニケーションを取れる時点で感動のあまり嗚咽を漏らすのではないか、と容易に想像がつくでしょう?と思うと、人は見た目が9割みたいな使い古されすぎて苔の生えつつある考えも、あんまり的を得ておらず、時間軸という奥行きを与えてしまうと内面が作用する力は外見よりも重要な気がします。
   その内面も25歳の男なんてのは同世代の女性や先輩方と比べるとほんと薄いんじゃないかと思っています。常々、一部の霊格の高い人を除き男は30歳からが本番なので準備しといてねみたいな持論を持っていて、その持論の下で1日1日頑張っていますが、これがまた満足のいく結果なんてこれまで一度も得たことないのです。非力なので。以上をまとめると、まだまだ頑張っていこうよ、25歳なんて多摩川で喩えると秩父多摩甲斐国立公園あたりですよ、ということになります。

  東京には何を生業にして生きているのか分からない人が多いなと思いつつ、渋谷の交番前の吐瀉物を横目にSuicaをピッ。今日もおつかれさまでした。

パニックホラー農業


2048年8月、レタスは最重要指定危険生物の指定を受けた。レタス(学名:Lactuca sativa)は、地中海沿岸、西アジア原産のキク科アキノノゲシ属の一年草または二年草で、30年ほど前までは食用野菜として利用されていたが、近年野菜という表層はカモフラージュであり、内実は冷酷な肉食生物であることが判明。被害は日本国内だけでも200,000人強までに登っており、昨日も首から上がない村民の遺体が複数発見された。政府は「対レタス強硬排除特令」を本国会で可決しており………

    いつからこの森に迷い込んだのかもう覚えてはいないが、あの緑の化け物が家族を食い殺した光景が何度もフラッシュバックしている。あまりに凄惨な光景だったために現実と夢の境なんて無いのではないかと疑いたくなる。ヤツらは動きが素早く、その触手で捕らえられたら最期、頭を食いちぎられ終焉、となる。なんとか妹だけは引き連れて近くの森まで来たものの、この森にも無数の死臭が立ち込めており、森の周りは元はレタス農家が仕事を営んでいたときている。涙と鼻水で濡れた僕の顔はより一層苦渋に歪んでいた。
    奴らの恐ろしさはその触手とガスである。触手は捕食する時の手足となり、ガスは吸い込むと手足の痺れ、目眩のような症状が即時に現れ、人の行動力を絶つ。そういった一連の儀式が行われた後に美食家は食事を行う。我が家の食卓を彩ってきたレタスはもうこの星にはおらず、どの生物よりも獰猛で狡猾な生物ヒエラルキーの頂点に君臨する化け物になっていた。
「お腹が減った…もう疲れた…」
妹がそう漏らすのも無理はなく、もう森に入って朝夜を2度過ごしている。持ってきた500mlペットボトルの水も瞬時に底尽いた。
    目の前の木に自衛隊がもたれ掛かっていた。すでに虫の息で腕を失い、銃は足元でむなしく横たわっていた。僕はその人にすがるように走り寄り、
「大丈夫ですか。ここに助けは、助けはくるんですか。」
と無我夢中で問いかけた。男は、
「いま夜の20時、先遣隊は見たとおり全滅しているが、本隊が朝に到着する予定だ。君たち、この夜が明けたらこの森を抜けなさい。したらおじさんの仲間たちが助けてくれる。どうか生きるんだ、いいね?」
と言ったあと、眠りについた。
何としてでも奴らの目をくぐり抜けて、妹だけは守らなくてはいけない。銃を拾い上げた。その塊は12歳そこそこの子供にはあまりにも重く、同時に責任という圧はその細い足で抱え切れるものではなかった。が、生きることへの執着を諦めるほどではなかった。その時、遥か後方より地面の擦れる音、巨きな物の気配を感じた。違いない、ヤツである。目を凝らす、間違いなくいる。自分の背丈の倍くらいはあるであろう乳白色の塊は悍ましい目を光らせ、獲物を追っていた。それも一体だけではなく、ソレは複数列を成していた。神よ、どうかこの夜だけはお見過ごしください。そう心の中で呟き、妹の小さな手と銃を握りしめる。長い一夜が幕を開ける。



バカバカしいので、この辺で。