ブーランジェリーに死す

 ふと前を向いてみると1月が完全に終わりを告げました。つい最近、実家近くの神社でお参りをしていた気がします。そういえば昨年は色々ありました。自分の将来について、結構思い悩みました。(体感この悩みは3年ローテくらいでくる。)もう来世はコアラにでもなって寝てえ〜と、街中で考えていたら女子高生とぶつかってしまいました。

 

 一年前、仕事を変えようと思い立って、職務経歴書を書きました。あれは自分の過去やってきた仕事の概略、身につけたスキル、自己PRなどを記す自己紹介の書面なのですが、最近ふと見返してみました、すると、想像以上に文章がひどくて。曲がりなりにも文学部を卒業していますが、何も学んでないことが如実に分かる文章。あまりの衝撃に脳内では鬼束ちひろが「月光」を歌い出す始末。こんなものの為に生まれたんじゃない。しかし、考えてみるとその至らなさに気づけたのも、この一年で成長したからに違いないのですが。(こう思うと、1年先の自分が今の自分に失望して、鬼束ちひろの流星群を脳内で熱唱する可能性が有る。)

 

 日本語は本当に難しい言語です。26年も生きてきて、使いこなせた実感がないです。適当に話を合わせてみたり、詩的な表現を出してみてとか言われれば、そら簡単に出ますよ。真剣に考えて、自分の思いを伝えることが難しい。考えてない、中空にある言葉を発すること、何かの引用なら脊髄反射で出来ますから。自分のこともよく掴めていないのに、言葉に出すのは至難のワザですね。

 

 で、意外と考慮に考慮を重ねて、いざ発してみる言葉が全然面白くない。そういうものです。

 

 でも、自分の評価も案外アテにならないもので、自分の基準なんかあったらいかんのやないの?と思うことが多々あります。大体、自分の基準に照らして先のことを予期してみたりしても、外れることばかり。世の中わかりきったことばかりじゃ面白くないですもんね。

 

 このブログも自分の基準で人が見やすいようにエッセイとブログの中間地点を探しつつ記していたのですが、見ている人とは「見にくい・・・(相手)」「えっ?あっ(私)」「見にくい・・・(相手)」という感じのやりとりしかできないです。この問題に対しては文量を短くするか、アイドルのアメーバブログくらいの多大な行間を使って物事を記すしか、今のところ打開策が見つからないです。人生は単純に見えて複雑ですね。