パーティ

 私はラップトップの前でマフィンを頬張っている。隣には書類が山積みになっており、どれだけ指先を動かそうとも仕事は減ってくれない。埃は溜まっているし、あらゆる物が散らかっている。近頃は掃除ができていない。窓の外は国営の公園が広がっており、近隣住民が各々の時間を過ごしている。キャッチボールをする少年、寝転んでいるカップル、新聞を広げている背広姿の男。

 先日、道端で猫を拾った。大通りから1本入った細い路地で猫が横たわっていた。猫は頭部にひどい怪我を負っており、泥と自分の血が固まり、黒い塊に見えた。その猫を抱きかかえ、バスルームに連れこむと身体を綺麗に洗い流してやり、息絶えてしまいそうな状態の猫を近くの病院に連れて行った。顎から頭部にかけ、深い怪我を負っていたが、医師の賢明な治療により少しずつ回復していった。その後、私は自身のSNSでその猫の里親を募り、40代の女性の元へと猫を送り届けた。先週に届いた彼女からの手紙には、あなたが繋げてくれた猫のおかげで生活、人生の意味を考え直しているという旨が書かれていた。

 外は雲行きが怪しくなり、小雨が降りだしてきた。朝干した洗濯物を取り込まないとまた洗濯機を回すハメになる。私はヘッドホンをしながら洗濯物を取り込むと決めている。どんな気候にもどんな気分の時にも邪魔にならない音楽を。建物の前に広がる公園にはもう人はおらず、昼過ぎの活況もどこかに身を潜めてしまった。

 故郷はいま住んでいる東部ではなく、もう少し人の手がかかっていない西部地方だ。学生時代まで田舎での生活を過ごし、家具のデザイナーを志してから、東部で見習いの仕事に就いた。東部での生活はかれこれ15年になる。この15年で様々な経験をした。妹の結婚式、ペットの脱走、恋人の裏切り、親友の死。いまではそれが全て一つの劇だったように思えてしまう。東部の無味乾燥な生活は、一歩引いた視点を身に着けるに最適だった。私はそんな劇的でもない私をもう少し生きていきたいと思っているようだった。

フィールドワーク

 

 終わりを告げようとしておりますGW最終日の23時。理想的な休日を過ごせた方もそうでない方も同じようにまた今日は昨日に、明日が今日になっていきます。僕は11日間のお休みを頂戴し、東京、名古屋、大阪の3都市で過ごすことにしました。まとめてここに思い出を記そうと思います。

 26日に諸々の準備を済ませ、中学時代の同級生の結婚式が予定されていた為、愛知に前乗りをしました。私は今年で29歳になるので、早い人だと「葬式も結婚も人生のイベントをあらかた一通り経験しちゃったよ」という人が出てくる歳になります。同い年の著名人を挙げるブルゾンちえみさん、池松壮亮さん、菊地亜美さん、エマ・ワトソンとまァそれだけでも胃がギブアップしそうなくらい濃い面子の世代でもあります。目的の結婚式は友人に囲まれた温かな雰囲気の中、変わらぬ面々と良い時間を過ごすことが出来ました。私の地元で集まるともう結婚してない人間の方が少数派となり、多少の居心地の悪さが視界にズカズカと入ってこようとするのですが、焦る時期でもないし、焦ってもないので、それは捨て置き名古屋に入国することにしています。毎回。

 んで、28日~29日は地元でも特段予定を入れず、ゆっくりと過ごしました。予定という予定といえば、コンパルという老舗喫茶店に2日連続でお世話になったことと、名古屋の映画館でアベンジャーズ最新作を見たことくらい(非常に豪華で素晴らしかったが、過去作を復習しておく必要あり)。3冊ほどの本もここで消化。

 29日夜には大阪へ移動。私は大阪に不思議と訪れたい気持ちに駆られるので、今回もその流れ。特に友人とも約束せず、新幹線の中でホテルを予約する適当ぶり。(案の定、ネットで宿泊先を探してもマジで見つからず、中心から若干外れた野田阪神駅の近くのビジネスホテルをとった。千日前の汚ねえ路上とかで寝ることになると思い、本当に焦った。)大阪は名古屋と東京とも全然違う文化・雰囲気を持った都市で、個人的には一番歴史というものを感じることができる。出てくる料理も街並みも結構なインパクトで、何より地元民から繰り出される言葉の感じがまるで違う。ここが一番大きい。擬似海外感を味わえるのでクセになって再訪してしまう。

 30日、1日はひたすらに街を歩いて、一人でご飯を食ったり、展覧会に足を運んだり、買い物をしたりした。ある時、堺筋本町の日本料理屋でランチをしていた時、還暦過ぎくらいの板前さんと床屋談義をする流れとなった。どうやら大阪には老舗や舌の肥えた方々に評価されていた昔ながらのお店が軒並み無くなってきているとの話があった。「個人主義観の強い大阪人はみんなで町を良くするって気持ちがないんで、あかんですなあ」という一言を放ち、ししとうの天ぷらを揚げてくれた。私も個人主義感の強い人間であるし、それが元手となって数々の痛手を被ってきた。色々な人が言う人を巻き込んでいかないと遠くにはいけないですよという言説への切り替えし、またその考えへの変容が出来ない自分には刺さる一言と天ぷらだった。ごちそうさまでした。

 旅行も最終日となり、新幹線乗車まで時間があったので、ランチを食べるために西成をうろついた。「日本一ディープな場所にあるカレー屋」という看板を見つけ、思わず入店。そこでも話をする。オーナーの方は西成で生まれ、広告代理店に就職をして東京など点々としたそうだが、西成でカレー屋を開業。元バンドマンこともあってか、会話が弾む。(私もバンドマンの端くれなのです、、、うぅ、、、)就職してからすぐに交通事故に遭い、生死をさまよい、記憶障害を患って恋人の名前を忘れてしまった話や西成の風評被害の話など、今まで見聞きしたことのない話ばかりで刺激的。時間も忘れて聞き入ってしまった。(そのオーナーはラジオDJもやられていたとのこと、そりゃ話に引き込まれるわけだ。)

 ふと、オーナーがこれから社会人大学に入る話をしてくれた。「いやもう40歳過ぎてますけど、学割使えるんすよ、最高でしょ。」ぐぬぬ、、、私も学割を使いたい、、、!!なぜ大学に入りなおすのかを聞いてみた。やりたいことが見えてきたからのようだ。大阪を本気で考える時期に入っているから大学に入りなおすそうだ。僕も社会人になってからというものの頭の片隅に一つの悩みを抱えながら生きている。そう、「特にやりたいことがない」。自分のケツに火が着くくらいのビジョンを見つけた人はすごいですよね。とりあえずやってみるという回答があると思うのですが、これが不思議と決心が付かない。オーナーにも「まあー、僕も次やりたいことを探しているんですよ、年内にはケリつけたいんですけどねえ、、、」とふわっといやらしい感じで悩みを投げかけてみたところ、「まあ、、、ええんちゃいますか。僕も見つかったのもここ最近やし。」とのお返事。ああ、このお返事を貰えるだけでも、この5日間の旅行に意味はあったのだなあ、と思い、お勘定。西成を後にしました。またお邪魔しますね。オーナー。

 こんな感じでゆるい旅行もなが~いGWも終わりまして、今は絶賛体調を崩しており、手と顔に赤い湿疹を抱えたまま明日から労働に勤しまなくてはいけないという状況に自分の中のアベンジャーズもげっそりしておりますが、身を粉にはせずに頑張ろうと思っております。

再拝。

野に牛を放つ

不定期にブログをしたためているが、常々思うのが横書きの日本語の文面は読み辛くいのではないかということだ。英語の文章が縦書きで書いてあったら、それは嫌がらせかと思う。例えば僕らが学校教育で触れてきた日本史の和歌等は縦書きの文章で書かれている。また今現在も刊行される書籍の大半は縦書きである。電子書籍化に伴い、この縦書き文化を廃絶するという決断も出来るだろうが、個人的には抵抗感を感じる。縦書きのブログがあるのであれば、そちらに即時移行したい。僕のような知名度のない人間の書く文章はディスプレイを通しての一方的なコミュニケーションになるので、読みやすさくらいは提供できないかなと思っているのですが、、、。

◆異性の同世代の人間かつ初めて会う状況になると決まってでてくるのが「好みのタイプの異性の話」だ。この手の話は大抵不毛だし、結果フィーリングじゃねえかと思うのだが、コミュニケーションとしてそれを口に出してしまうと「なんて趣のないオトコなの・・・」と思われるので、なんとか回答をひねり出して答えることになる。まず「頭のいい人」には惹かれるだろう。頭の良いというのは学歴がすごいであるとか、非常に高度な仕事に携わっているとかそんな上品ではない話ではなく、「個人の世界をきちんと持っており、他人の価値観や思想を受け入れることのできる器のある人だ」という定義が今現在しっくりきている。ただ、これも実体の無い言葉なので何ら意味はないに等しいのだが。

◆もう僕も28歳になった。6年前、スクラップアンドビルドの衝動に駆られたのか、若干飽きていることは明確だったので大学を卒業してから地元を出た。物件を探してみたり、見知らぬ人と仕事をしていたりすると今まででは味わえなかった感情があった。また他人に飽きやすい(飽きられやすい)ので、流動性が遥かに高い都市の方が向いているのかなとも思ったものである。またあらゆる意味で拠り所は複数持つべきで、一つしかないことの方が辛いかもしれない。その方が考えのバランスをとりやすい。耐えられなくなったらどこかをセーフハウス代わりに使ったり、一方を破棄することだって無理をすれば可能なはずだ。人間のストレッサーは大体が他人なので、希釈というのも一つの手段である。違う星の状況に一喜一憂していく必要はない。何が必要なのかどうか常に見極める姿勢が大事だと感じる。

ある演奏、4分21秒

   車の後部座席から外を眺めていた。街は秋めいており、子供連れは少し生地の厚そうなペアルック姿で楽しそうに過ごしていた。私の隣には目出し帽をかぶった男と、その前では細長い不健康そうな男が車を走らせていた。こう言うと苦笑されるかもしれないが、このご時世に秋葉原のある銀行を襲いに行く。

 2日前、勤めている会社の半期に一度の慰労会があった。部下の必死の頑張りもあって、売上は当初の予想を遥かに超え、会社からの評価も上々。そんな出来のよい部下たちを労っていた。会が終わった後、裏の路地を歩いていると男が2人、私の前に立ちはだかった。直後に頭に衝撃が走り、そのおかげで記憶を一部欠損したようだ。顔の痣と腹部の擦り傷を見ると、それなりの暴行を受けたようだった。目を覚ますと、部屋の一室に座らされており、私の前に男が2人が座っていた。片割れのひげ面の男が私に告げた内容はこうだった。私の妻が既に捕えられていること、これから銀行を襲うこと、盗んだ金額の15%が私に入ること、成功した際には妻共々開放されること、ただし、反抗した際には額に穴が空くこと。その話のあとに男から銃を手渡されても、反応が上手くできなかった。これから現場に向かうと告げられ、黒いセダンに乗り込んだ。どうやら私が果たすべき役割は行員たちをこの銃で脅し、その動きを削ぐことにあるようだった。細長い男は運転役(たしかに運転はスムーズだった。)、ひげ面の男が金を回収する係のようだ。

 栃木から上京してきて19年が経ち、いまは江戸川区に居を構えている。子供はいない。特筆すべき点がない人生を歩んできた。一点の曇りもなき小市民の人生である。特に涙が止まらないくらいの困難があることも、人に誇る業を成したこともないと思っている。唯一、最愛の妻と暮らせていることは胸を張れるかもしれない。

 私には教師になるという夢があった。幼いころから親には公務員になるように刷り込まれてきたし、教師という職業の尊さが私には眩しく映った。子供の将来を決定づけるのは親と外界の環境だ。親は独自の強さが求められるが、外界は様々な要素が複雑に絡み合っている。いじめてくる子供もいるし、いけすかない大人もいるだろう。小さな子供を外界の理不尽さから守り、導くのが教師なのだと今でも信じている。なので、教師の不祥事の記事を目にすると、苦い気持ちになった。

   車は九段下を過ぎ、靖国通りを神保町に向けて走行していた。カーステレオからは聞き覚えのある昔のヒットソングが流れていた。T-BOLAN今井美樹米米CLUB・・・なかなか悪くない選曲だが、今の私には雑音と同じである。私の好きな映画に「コラテラル」という作品がある。殺し屋ヴィンセント(これはトム・クルーズが演じている、怪演でミッションインポッシブルシリーズより好みだ)が数々の名言を残す良作なのだが、その台詞を頭の中で反芻していた。主人公のマックス(これはジェイミー・フォックスが演じている。言うまでもなく名演だ。)は何かと才能があると思っており、リムジン運送の会社をやる夢を持っている。が、失敗を恐れてタクシー運転手を10年以上ダラダラと続けていた。そんなマックスに対してヴィンセントは「お前は、人生で何も挑戦しなかった事に気付くのさ、年老いて何もできなくなった頃にな。」「お前は、どうせリムジン運送会社も興さない。」と煽るシーンがある。その台詞が後半部分で効いてくるのだが、当時はヴィンセントの言うコトに私も身を裂かれた。いまの状況もマックスと同じようなもので、出来ないことを命をかけてやらなくてはならなくなっている。因果は関係ない場所でも巡るし、人生なんてものは2、3分もあれば劇的に表情を変えてしまう。

 車が停車した。どうやら現場に到着したようだ。駅前は人通りが多く、普段通りの風景を私の視界に映していた。男から再度、段取りの説明があった。私は靴の先を見つめたまま特に反応をしなかった。妻に会いたかった。この手で抱きしめることはもう叶わないのだろうか。来週の水曜日は妻の41歳の誕生日だった。前々から飼いたいと言っていた猫、スコティッシュなんとかと言っただろうか。その子と一緒に帰るつもりでいた。私もその猫との暮らしを楽しみにしていた。降りろと腰を足蹴にされた。車を降りると、少し肌寒い空気が私を包んだ。妻は凍えていないだろうか、地球が終わる日には何を食べて過ごそうか。ただ、私はそんなことを考えていた。

 【以下、明朝の新聞記事】

 16日午後4時55分ごろ、東京都千代田区外神田2丁目の城仙銀行の行員が2名の死体を発見し、110番通報した。男性2名は頭部を撃たれ即死。うち1名は目出し棒を被っており、銃を携行していたことから銀行強盗を計画していたと思われる。現場からは30~40歳くらいの身長160~170センチの男が走り去ったという目撃情報から、警視庁は仲間割れののちに犯行に及んだものとして殺人の容疑で捜査をしている。

 

(This is a work of fiction.The characters, incidents and locations portrayed and the names herein are fictitious and any similarity to or identification with the location, name, character or history of any person, product or entity is entirely coincidental and unintentional.)

 

架空のインタビュー3

    この寡黙な印象から、あの役柄は想像できただろうか?今夏公開となる「路傍」。その作品の主人公となるのが、宇野保志、その人だ。映画の舞台は90年代の千葉県。隣町である東京ではディスコが乱立したり、地下鉄サリン事件など象徴的な出来事が起きていた激動の時代。その派手なトピックの所為であまり取り沙汰にされていないが、千葉で「船橋・行々林銃乱射事件」が起こる。映画はこの死者4名を出した事件を描いている。犯人は2日間の逃走の末、静岡の山中で逮捕されているが、宇野はその犯人である山田幸三を演じている。

18年前、子役デビューを飾った彼がいまその凶行を演じる。その背景には何があったのだろうか?撮影に対する葛藤と役者人生、またその展望を聞いた。

取材・構成:シュザイタイチ 撮影:サツエーコ

 

──先ほど拝見させていただいて、もの凄い熱量の作品でした。

宇野保志(以下、宇野) ありがとうございます。


──今まで演じてきた役柄と全然違うじゃないですか。前作の「ダイバーシティ」では生徒が恋い焦がれる生物教師を演じていて、その前の「バイマイサイ」では盲目の女の子に恋をするパン屋の青年と。この作品の話が挙がったときにはどういった心境だったのでしょうか?

宇野 全然違いますね。でも表面では見え方が違っていても、死ぬほど葛藤しているという点では同じなんです。「ダイバーシティ」では生徒の寿命を知ってしまう先生、また「バイマイサイ」ではハンディキャップを抱えている女の子に惹かれてしまうわけで。今作も銃を乱射するというトピックだけ見れば単なる狂人ですが、そこに至る過程では生物教師やパン屋の青年同様に山田自身も自分と対話しています。なので、意外とその部分で共感出来てしまうんですよ。

──松下監督も「宇野君は日本の若手だと妙味がある。こちら側が葛藤する価値のある貴重な役者。」だと評されています。

宇野 本当にありがたいことですよね。ずっと松下監督の作品に出たいと言っていましたから。出てくれないか、と電話で言われたときには反射的にお願いしますと言っていましたね。

──役を作る際は何か気を付けていることはあるのでしょうか??

宇野 どうなんですかね、そんな意識してないかもしれないです。よくハリウッドの俳優が炭水化物中心の食事をとって、アイスクリームを溶かしてそれで胃を満腹にするとか聞きますけど、人間業じゃないですからね(笑)。今回は資料映像とか新聞記事とかを読んでずっと心の中でその状況を投影するようにしていました。それ以外はもう普段の生活と変わらなかったですね。

──普段は何をして過ごされていますか?映像を観たり、音楽を聴いたりされているのでしょうか?

宇野 僕はテレビも観ないですし、音楽もそれほど聴かないですね。ずっと外にいる気がします。ある日、公園のベンチで座っていて、漫画読んだり、子供を見たりしていたら、半日くらい経っていたことがあった(笑)。本ばっかり読んでいるかもしれないですね。好きな作家はカート・ヴォガネット・ジュニアやミラン・クンデラ。日本の作家さんの本はあまり読んだことがないかも。日本の文芸には湿り気を感じてしまい、そこにあんまり集中できないのかな。


──なるほど。でもドライというのは作品の宇野さんを見るに、すごく腑に落ちる気がします。

宇野 周囲から情が無いとか言われることがありますね。そんなことはないんだけれど(笑)。

──演じる上で何か気をつけていることはあるんでしょうか。非常に繊細な人物を演じる場合が多いと思うのですが。

宇野 気をつけていることと言えば、僕自身感を出さないということに尽きます。上手いなあと思う演者さんには2タイプあると思っていて、その人自身のキャラが立っている人。もう一つはカメレオンのように役毎に使い分けられる人。後者の道を究めたいと常に思っています。僕が好きなジムキャリーエドワードノートンは後者だと思うんですよね。あとはあんまり決まりごとを自分の中で作らないようにしています。毎回、素人が現場に立たせていただいているという気持ちでやらせていただいていますね。

──宇野さんは今年で25歳になるのですが、今後の展望があればお聞かせください。

宇野 僕は一役者であることを全うしたいと思っています。役を与えられたのちに表現できることはやり尽くしていきたい。それ以外は特にいまは興味がないです。来年クランクインする映画もそれなりに重たいテーマを扱います。まずはそういった作品づくりを一つ一つこなしていきたいですね。

(新宿/喫茶ボンにて 2018年11月6日) 

 

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その男

 男は震えていた。なぜ、このタイミングで人生の岐路に立たばならないのか分からなかった。午前2時過ぎ、駅近くのファミリーレストラン。テーブルには食べかけのシーザーサラダとコーヒー、スマートフォン。ただ一つだけ、机の下では男に向けて銃が向けられていた。対面に婚約相手だった女が座っており、引き金に指をかけ、相手の顔をじっと見つめていた。

 原因は男にあった。男には長らく隠し子がいた。一時の気の迷いとはいえ、許されることではない。それを知った女は、銃を入手し、構えるに至った。理性を欠いた人間は怖いモノを知らぬ獣である。女は先ほど席についた後、説法に近い形で、これまでの経緯を滔々と説明した。男からすると針で突く隙もない話だった。少しだけでよいから、生きる余地は残してくれてもいいんじゃないかということを男は話を聞きながら思った。

 男が迫られている選択は、謝罪か死だった。謝罪すれば自分の未来を生きられなくなる、ただここで口答えしようものなら、本来の意味で生きることが出来なくなる。男の手元には何もなかった。思えば、その男は今まで何一つ苦労したことがなかった。学生時代はいつのまにか人気者になり、一挙手が皆の歴史を作った。就職してからは、頭を下げる歳上の人間が多くなった。それなのに、いまは意思を持たぬ塊にひれ伏していた。

 沈黙は400秒を超えた。外は冴えた世界が広がっていた。おそらく俺の人生はもうこのレストランから出ることはなさそうだ。男はそう考えると涙が流した。この人殺しめ、いや未だ殺していないだろうから「人殺し」という名称は適当ではないか。この状況でこんなどうでもいいことを男は思い付くことができた。人間の想像力は無限大だ。

 外で犬が主人を呼ぶために少し吠えた。1℃を下回る空気は、毛皮を召す犬にも堪えるようだった。向かいのコンビニは灯りを明滅させている。留学生であろうアルバイトの男は、Lサイズコーヒー紙カップを客に差し出した。1台のミニバンが賑やかに学生を載せて高速の入り口を目指していた。ゴミの匂いで目を覚ましたサラリーマンは帰る手立てがないことに気付く。

 一瞬、東京の空気が軽くなった。街は朝を迎える準備をしている。

 

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自家製人生相談室(2018年6月~)

 私は普段、文筆家として活動をしており、あまり人前に出ないため、読者とのコミュニケーションスペースとして私書箱をweb上に開設しており、いつでも手紙を投函できる仕組みにしています。この取組みは2018年の6月からひっそりと始められていて、いままで送られてきた手紙の総数は5か月で6,000通にもなります。手紙の内容は ①作品の感想  ②お悩み相談  ③悪口  ④自身の作品投稿 という4つに大別できます。投稿される手紙の全てに目を通しています。今回はお悩み相談(とりわけこのカテゴリの投函数が多い)からいくつかピックアップして回答をしていこうかと思います。目は疲れるし、肩は凝るし、他人の問題なので、回答を考える間は他の仕事が手に付かず参ったなあ、という感じでしたが、皆さんが普段考えていることを触れられる大事な場です。ご協力いただいた方にこの場を借りて感謝申し上げます。

 

①──以前、モラルについて「モラルというのは時代によって上がったり下がったりするものではない」と、仰っていましたが、「おおらかさ」「寛容さ」についてはどうでしょうか? 最低限のデリカシーは必要だと思いますが、社会から「おおらかさ」「寛容さ」が失われ、叩けるものは徹底的に打ちのめす。そんな暴力的な思想がはびこっている気がしていて、それは神経症的なところまできていませんでしょうか?なんだか息苦しい社会だと思いませんか? (ダージリン、男性、28歳)

 たしかにルールや規則、こうじゃないとというケースが昔ほどではないですが、不文律として残っている気がしますね。現在の世界はおおらかであることを装うことが一つのブームであるように思います。私も自然におおらかで寛容な人に会うとハッとするので、いつの間にか自分も器量の狭い人間になっているんでしょう。多様化が進んでいるようで画一化も同時に進んでいる印象を受けるので、思想に侵されそうなとき、独自のルールで他人になるべく迷惑をかけず、いかにはみだすかが重要なんじゃないでしょうか。

②──昨日、妻と大喧嘩してしまいました。謝罪したのですが、わだかまりが消えていないような気がします。口論に腹が立ち、こちらから怒鳴ってしまったことも反省しています。腹が立っても怒鳴らない秘訣を教えてください。作品に出てくる男性は、女性に対して怒鳴ったりしませんよね。 (馬車馬、男性、42歳)

 なるほど。日々を生きているとそういうことありますよね。僕はすぐに謝ってその場を収めようとしますね。真っ当な理由と謝罪する態度が相手に伝われば何とかなります。どうしてもそれらが用意できない場合は、時間が経つのを体育座りで待つしかありません。いつだって男の方がバカで弱いと思うので、その戦法しか取れませんね。打ちのめされた時は後日美味しいものを食べて、ぼーっとします。

③──こんにちは。私はひとりランチが苦痛で仕方ありません。仕事柄、ひとりでご飯を食べることが多いのですが、他人の目が気になるのと、ごはんを待っているあいだの時間がどうにも手持ち無沙汰で落ち着きません。どのように過ごせばよいのでしょうか。(小太り、31歳、女性)

 僕は大体一人でご飯を食べるときは外をぼーっと眺めながら待ち、ご飯が出てきたらサっと食べて店を出てしまいます。色々と回りの目が気になったりするのなら、自分の内面とか生活を見つめてみてはいかがでしょうか。夜の営みの新しい展開を考えてみたらどうでしょうか。行為にでんぐり返しを取り入れてみようとか、事のあいだに急にグアバジュースを飲んだらどういう反応をされるだろうか、とか。
 

④──将来の夢がありません。親や友人からは「将来何をしたいか、何になりたいかを見据えて人生を過ごしなさい」と言われますが、どうしても思い浮かびません。ハヤシさんの場合は将来こうなりたいという明確なビジョンがあったのでしょうか? (i'm here、17歳、女性)

 僕は気づいたらこうなっていたというのが正直なところです。何となく筆を取って書いてみたら、それが運良く世にでただけで将来これで食っていこうとか何も明確なビジョンは持っていませんでした。何かとビジョンが明確な人は話していてすごいなあと思います。死ぬまで固められる自信がありません。いまなにをやりたいかを考えるのがビジョンといえば、ビジョンです。

⑤──好きなことは仕事になりえるのでしょうか。私は画を仕事にしたいと思っています。ただ、友人からは好きなことは仕事にしない方がいいと言われます。どう思われますか? (文京区在住マン、21歳、男性)

 別になりえると思いますよ。そうしてる人なんていくらでもいるんじゃないでしょうか。嫌いなことを仕事にする人はM気質が過ぎると思いますが、結局そういうのってスタンスの問題でしょう。私は昔、違う仕事をしていたけど、文筆業にシフトしてから筆を持つとぐったりする時がありました。好きなことを仕事にすると、そういう跳ねっ返りが凄いです。自分の心が動くままに決めたらいいと思いますよ。

⑥──本当に困っていることや悩んでいることを人に相談しますか。私はなんでもかんでも人に話して、方針を作っていくタイプだと思っているのですがいかがでしょうか。先日も恋愛相談を友人にしました。 (響、29歳、女性)

 僕は本当に悩んでいること、困っていることはなるべく他人に話しませんし、話せないですね。他人に話せるという時点でわりあい整理ついちゃっていませんか。まだそこまで長い人生を生きているつもりはありませんが、これまでなるべく自分でどうにかやってきました。自分がどうするか、どう考えるかが肝のような気がします。コツをあえて挙げるのであれば、偏屈にならないことと直感を信じること、よく寝ることくらいでしょうか。

 

(This is a work of fiction.The characters, incidents and locations portrayed and the names herein are fictitious and any similarity to or identification with the location, name, character or history of any person, product or entity is entirely coincidental and unintentional.)

 

終わり