読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

Humor

ハヤシです。色々その時々書きたいことを書きます。

Guomundsdottir

母親がよく車で「米米CLUB」、「山下達郎」を流していました。

なので音楽に触れる場面は並にあったのですが、

本当に音楽を意識して聞き始めたのは、当時「Viewsic」(今のM-ON TV)で

くるり」の「ワールドエンド・スーパーノヴァ」という曲の

MVでボーカルの岸田繁がスローモーション伸脚運動のような

動きをしているのを観たことに依ります。

僕はそのMVに衝撃を受けて、坂を下った所にある

TSUTAYAにお小遣いの大半を握りしめて

CDを購入した覚えがあります。

そのカップリングに入っている、レイハラカミの「ばらの花」

ワンダーフォーゲル」のリミックスも全て小学6年生だった

僕の耳には新鮮に入り込んできました。

 

その後、僕は間髪入れずに「スーパーカー」の

「Recreation」のMVを目にします。

構成はシンプルなのですが、あのボーカルとギターの音に

夢中になりました。中古CDで探し当て、210円で購入。

擦り切れるほどに聞き込みました。

 

その後、中学に上がり、ドラマ「天体観測」を目にします。

「あっ!そいやあBUMP OF CHICKENっておるな〜。

木星のジャケのCDあったよな?聴きたい!」

と思い、またもやCDを買いに最寄りのGEOへ。

これが基になり、バンプのコピーバンドを組むことに。

お前はドラムやれと言われ、3日間だけ練習をして

文化祭に出たのも良い思い出です。

 

中3では友人が東京で「the band apart」の

quake and brook」をジャケ買い。(いいセンスをしているナ)

このアルバムが僕に与えた影響は本当に大きく、

こういうバンドを俺は組むんだ!とずっと思っていました。

友人に対抗して「K.and his bike」を購入。

 

大学ではエモとかマスロックに傾倒します。

・American Football

・Algernon Cadwallader

・Adbisi shank

いろんなバンドの音源を聴きました。

 

こう書き上げるとなんでも歴史があるのねと再認識。

広く浅くなのでそんな語るほどでもないのですが。

 

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 

「LA LA LAND」を観た。

観たあと心温かくなったのですが、みんなはいかがですか。

(僕の周りでは悲しいヨとか喪失感を感じたヨ

とかいう感想で溢れています。そうではないと思ったのですが、、、)

行方、またその顛末について

 

季節は春、3月に差しかかろうとしています。

寒さが身を縮める場面が多くなってきました。

これから段々と暖かな陽が射す日が多くなると、

嬉しくも悲しくもあります。

未だに和暦で問われると、

平成2・・・何年だっけとなることがありますが

もう50日以上も平成29年を過ごしているのですね。

 

 

守っている信条は人それぞれあるでしょう。

「一期一会」や「人に嘘をつかない」だったり。

それはそれぞれに良いと思うし、

人様に迷惑をかけなければ、

どういう考えを持っても、

別に否定する筋合いは他人にあると思いません。

(ここらへんは母の教え)

 

いまスタバにいるんですが、

自分の信条をコーヒーを飲みながらざっと洗い出してみると、、

⒈考えは流動的

⒉自分の器が基準

⒊ずっと正直でブレないのは書物くらい

くらいなもんかな、と。

 

⒈考えは流動的

自分もそうなんですが、人間、

考えがずーっと変わらないわけないんです。

だから、絶対そうだよ、

100%こうだよという物言いに僕は違和感を感じざるえません。

そういう言い方をするなら、

先頭に「現時点では」、結びに「こう思う。」

を心の中でも良いので言うスタンスでいるべきだと思います。

押し付けがましいから。

(でも押し付けがましくない人っていますよね、

あれ、羨ましい能力だなあ〜。)

でも、考えを表明することはコミュニケーション上、

絶対に必要なので、どんどんするべきだと思います。

(僕は出来ていないけど)

 

昨日までAちゃんが好きだったのに、

次の日は中条あやみちゃんが好きなときとか

あるじゃないですか。

 

⒉自分の器が基準

理解が出来ない人や現象に会ったときは、

受け入れる器が自分に無いからだっていう風に

考えるようにしています。

相手が出す液体を受け入れる容器が自分の手持ちに無い、と。

そういう風に考えるとストレスも減るし、

他人を矯正しようみたいな考えも無くなるので。

相手に合わせた容器を作るか、

不要と判断するかはその人が時間作って、

ゆっくり考えればいいと思います。

 

⒊ずっと正直でブレないのは書物くらい

これって⒈と通じるのかもしれないのですが、

人間の言うことを100%受け入れることはあんまりないです。

無思考に全部取り入れることは絶対しないです。

「なんだそれ、当たり前だろ」と思われるでしょうが、

僕はここまでくるのに、静かに凄く苦労しました。

事実、18歳くらいまでは他人の生き方をトレースするしかなかった。

でも、僕は書物や作品に対してはワキが甘い。笑

優秀な人が作ったモノを優秀な人が校正している。

プロ同士が手を組んで、世に考えや作品を輩出している。

考えに良し悪しはあるので、すこーしフィルタは

かけるべきでしょうが、

僕では考えが至らないので、作品を読んだり、

見たりして感じたことは覚えられる限りは

抽斗に入れていこうと考えています。

 

無意識に思っていることはもっと多くあるかもしれないけど、とりあえず。

 

 

1年半ほど抱えていた悩みに

ひとまず終止符を打ったと思ったら、

また新しい悩みを抱えてしまった。

分かっていたことなのに。

でも、どこかそれを望んでいたフシが

あるのかもしれない。

 

 

 

ブーランジェリーに死す

 ふと前を向いてみると1月が完全に終わりを告げました。つい最近、実家近くの神社でお参りをしていた気がします。そういえば昨年は色々ありました。自分の将来について、結構思い悩みました。(体感この悩みは3年ローテくらいでくる。)もう来世はコアラにでもなって寝てえ〜と、街中で考えていたら女子高生とぶつかってしまいました。

 

 一年前、仕事を変えようと思い立って、職務経歴書を書きました。あれは自分の過去やってきた仕事の概略、身につけたスキル、自己PRなどを記す自己紹介の書面なのですが、最近ふと見返してみました、すると、想像以上に文章がひどくて。曲がりなりにも文学部を卒業していますが、何も学んでないことが如実に分かる文章。あまりの衝撃に脳内では鬼束ちひろが「月光」を歌い出す始末。こんなものの為に生まれたんじゃない。しかし、考えてみるとその至らなさに気づけたのも、この一年で成長したからに違いないのですが。(こう思うと、1年先の自分が今の自分に失望して、鬼束ちひろの流星群を脳内で熱唱する可能性が有る。)

 

 日本語は本当に難しい言語です。26年も生きてきて、使いこなせた実感がないです。適当に話を合わせてみたり、詩的な表現を出してみてとか言われれば、そら簡単に出ますよ。真剣に考えて、自分の思いを伝えることが難しい。考えてない、中空にある言葉を発すること、何かの引用なら脊髄反射で出来ますから。自分のこともよく掴めていないのに、言葉に出すのは至難のワザですね。

 

 で、意外と考慮に考慮を重ねて、いざ発してみる言葉が全然面白くない。そういうものです。

 

 でも、自分の評価も案外アテにならないもので、自分の基準なんかあったらいかんのやないの?と思うことが多々あります。大体、自分の基準に照らして先のことを予期してみたりしても、外れることばかり。世の中わかりきったことばかりじゃ面白くないですもんね。

 

 このブログも自分の基準で人が見やすいようにエッセイとブログの中間地点を探しつつ記していたのですが、見ている人とは「見にくい・・・(相手)」「えっ?あっ(私)」「見にくい・・・(相手)」という感じのやりとりしかできないです。この問題に対しては文量を短くするか、アイドルのアメーバブログくらいの多大な行間を使って物事を記すしか、今のところ打開策が見つからないです。人生は単純に見えて複雑ですね。

あるイリノイの春

A(26):男性。大学院生、友人が経営する小料理屋の手伝う。趣味はサーフィン、読書。

 

B(23):女性。フリーター。先日、実家で飼っていた愛猫が亡くなる。将来の夢は脚本家。

 

午後2時45分、AとBは喫茶店「イリノイ」で談笑している。

 

--------------------------------------------------------------------------------------------

 

A「君は今日本当に元気がない。」

 

B「当たり前でしょ。何もかもが嫌になっているのよ。本当だったら、家で不貞寝していたいくらいだわ。」

 

A「でも、仕方ない。どうしてもここのオムライスが食べたかったんだ。」

 

B「私は食欲もないわ。どうせならこの国から飛び出して何も考えずにどこか知らない街を歩いていたい気分よ。」

 

A「にしても、平日だというのになんだいこの街の混み具合は。」

 

B「近くの神社で催事をしているみたいよ。子供連れもやけに多い。」

 

A「どうやらこの地区の人は暮らしに余裕が溢れているね。」

 

B「私たちと正反対ね。」

 

A「"たち"ってなんだ。"たち"って。」

 

B(なにも言わず窓の外に視線をやる。)

 

A「不幸を一手に引き受けたみたいな態度はこの店に似つかわしくない。」

 

B「歳を重ねるにつれて鬱屈な出来事に心が引き込まれていく感覚ってない?」

 

A「僕は小さい頃からその感覚はあるね。」

 

B「年々強くならないの?」

 

A「堰き止めているんだ。心の中に高い壁を設けるんだよ。」

 

B「物事に鈍感になるってこと?」

 

A「ある意味。」

 

B「そんなので守れているという気持ちになるほど私は単純ではないわ。鈍くなることは私の道義に反する。この店で安直にオムライスを頼むのと一緒よ。」

 

A(黙って携帯を取り出す。)

 

B「引き込まれるのが怖いのよ。今年で私も二十四歳。所帯を持ってもおかしくない年齢だわ。仮に倍の四十八になった時にどんな心の持ちようになっているのかしら。考えただけでも震えてしまうわ。世間の人はどう耐えているのかしら。」

 

A「暗い部屋で閉じこもってる気分なのかな?」

 

B「いいえ、無くなるのよ。自分が。この世から。段々と。」

 

A「冷蔵庫の中のショートケーキのように。」

 

B「銀行の貸金庫の中の宝石のように。」

 

A「喩え話が君は上手い。それだけで全然やっていけるじゃない。あっ、すみません。コーヒーのお代わりをください。」

 

B「もう4杯目じゃない。そんなにカフェインにまみれてどうなりたいわけ?」

 

A「年収700万、かわいい奥さんと犬、ある程度の車を維持するビジネスマン。」

 

B「馬鹿みたい。」

 

A「こう見えてそれは非常に高難度な将来像なんだ。理解されない人にはどうでもいい話だよ。」

 

B「ねえ、本当にそんなモノになりたいの?」

 

A「明日には違うことを言っているかもしれない、サックス奏者とか数学の教師とか。日々変わるのが自然だよ、人間なんて。」

 

B「つかみどころが無い人。」

 

A「お互い様だよ。」

 

B「そろそろ次の予定があるから私はもう出るけど?」

 

A「彼氏が迎えにくるんだよね?」

 

B「ええ、あの対向車線に停まってる赤い車。あれに乗るの。」

 

A「見るからにご身分の高い人間の乗る車だな。」

 

B「臑齧りの何が身分が高いのかしら。一種の才能ではあるけれど。」

 

A「才能に溢れた人には人間が集まるんだ。」

 

B「いいえ、孤独な人も多いはずよ。現にあの人も孤独だわ。私が世話しないと猿より生活力が乏しいはずよ。」

 

A「じゃあ何に惚れているんだ、いったい。」

 

B「ある意味で私も借りているのよ。臑をね。」

 

A「いま僕に必要なのはそういった止まり木なのかもしれない。」

 

B「壁作ってる場合じゃないわね。活動的にならないと見つからないわ。」

 

A「あの人を待たせている。君はもう早く行ったほうがいい。ここは僕が払っておくから。」

 

B「さようなら、また来週。」

 

A「来週には夢の溢れた将来像をお届けできるように努力するよ。」

 

B「じゃあ。」

 

A「じゃあ。」

 

AとBは別れる。いつの間にか店は閑散としている。ある4月の晴れた日の一幕だった。

そのアンサー

 筆不精とはこのことで、守りきれない更新の頻度。そんなに多くの人が読んでいるわけではないだろうと思いつつも、書き始めております。なぜ書き始めたのかというと、夜の渋谷を酩酊しつつ、友人と闊歩していたら大学生グループと不思議な交流が始まってしまい、オカマみたいな男の子とインスタグラムのアカウントを交換していたようでして、その子から後日「めっちゃ、面白いブログ書いているんですね」(←LINEより抜粋)と言われたので、やる気になった次第であります。単純すぎる。馬鹿か。

 

 歳を取るとちょっとやそっとのことで傷つかなくなるとよく聞きます。僕は本当に豆腐メンタルなのでちょっとした他人の言葉とか所作で傷ついてしまい、小さなことでも11〜12時間は心に引っかかってしまいます。誰かの言葉で突然目の前がInkwell(インスタグラムの白黒になるフィルターの名前です。洒落ていますね。)っぽくなってしまったり、足元の地面がぐにゃりと歪んでバランスが取れなくなってしまうこともあります。でも、どうやら傷つくことは若者の特権であるという考え方もできるようで、性的なポテンシャルや感受性が若い頃より磨耗してしまっている人からすれば、輝かしいことであるという文章をどこかの本で読んだことがあります。ほんとにそうなんですかね、歳を取ってみないと分からないか。傷ついてしまった人っておそらくそれぞれの逃避の方法があると思うのだけど、皆さんは何をされるんですかね。恋愛ですか、映画鑑賞ですか、はたまた仕事でしょうか。気になるところではあります。んで、僕は何が一番ストレスなのかというとおそらく「興味のないことをかなり強い力で強要されること」だと思います。人間ですからたまにはそういう経験がないと、精神的にヤワな人になってしまうのだけど、生きて行くだけでこういう場面が非常に多いと感じます。努力を娯楽にしてくださいとかこと聞いて久しいですけど、全部が全部出来そうにもないし、うーん。嫌なことは先伸ばしにしたり、見て見ぬフリしたいじゃないですか、とかいう本音を出すと、日常生活送れない気がするので、どんどん傷ついていきましょう。

 

 ここ最近、自分が嫌なところが特に2つ目についていて、まず論理力がないこと。これほんと最近特に欠乏を感じるのですが、ロジカルな思考というものが苦手なようだ。理系に進むことを拒んだ高校時代の自分と膝を突き合わせて15分でよいので、ロイヤルホストで説き伏せたい気分だ。「条件Aがある、こういう理由でBという見解もできるが、Cという結論もこの部分からこう考えると導きだせる」みたいなのは回りくどいと感じてしまうので、場当たり的に「いやこれ、Dっぽいな〜笑笑」という結論をだしちゃうので、叱られたり、痛い目を見てしまうことがある。0か100で考えてしまう。ここ最近の嫌なところだ。治したい。簡単に論理力って補填できる気がしないですけどね。あと文頭に「まあ」とよくつけるのも悪い癖だ。「まあ、いいんじゃない?」「まあ、そうするか」と言われたらどうか。「こいつ、そんなこの理由に納得してねえな?じゃあ代案だせや」と思っちゃうだろう。保身の代わりで「まあ」という言葉を小さい頃から使用してる気がするのだけど、本当に封印したい。これは友人とのLINEでもよく使っている気がする。まあ、やめよう。そろそろ。

 

 僕は結構本を読む。自分の部屋で誇れるところといえば、本棚にある本の量くらいで、あとは別に、というか本と服くらいしかものが無い。仕事も休憩中にや通勤時間に本を読んでいるから保てているようなもんで、仕事を辞めてしまうとその時間が無くなってしまうので、途端に読書をする時間が無くなってしまって、活字を読む時間が無くなってしまうかもしれない。生活していると別に読むことはないのだけど、仕事に関わるなにかの時間だとやたらと捗る。(会社には給料泥棒!万年平社員!何かの鳥!と本当に怒られてしまうかもしれないですね。)僕の祖母をはじめ、結構自分の家系(林家)は読書家が集まっている。(ただ、父親の兄は本は読まずにタイでタイ美人をはべらしているようで、全く日本に戻ってこない印象しかないのでこの限りではない。)

 とはいえ、僕だけかもしれないけど、大概の本の内容なんてものは映画と違って頭に残らない。ひどいときなんて「(主人公の女の苗字なんだっけ・・・たかは・・さとう・・?)」みたいな有様である。でもなんで読むかっていうと、真面目な話、「自分を保つため」であるとしか言えない。エッセイを書く有名人を通して、不可抗力で殺人を犯してしまう母親を通して、旅人を救ううさぎを通して、自分を投影してみて考えを取捨選択をしてみる。他人やマイナスな自分に全て引っ張られないように自分の人生を俯瞰してみるのに結構読書っていいもんだと思いますよ。

 こんな記憶力のない自分でも強烈に覚えている一冊があって、祖母から貰った本なのですが、スティーブンソンの「若き人々のために」という本です。(アラサーがなにいうか。)表現はいささか難解であるけども、(昭和28年に初版発刊なので仕方ありませんね。)恋愛から死まで結構救いのあることが書いて有る。あっ、日本の最近の本だと、「タンノイのエジンバラ」って短編が良かったな。終わり方が洒落てるし。

 

あー久々に書いたら疲れました。寝たい気分だ。

寝るときに聞くと、アリーナで寝てる気分になれるよ。

 

www.youtube.com

 

 

夜更かし男

  みなさん。いかがお過ごしですか。時期も10月になりまして、朝、窓を開けると秋の香りがするようになった気がしてましたが、梅雨みたいな天気になっちゃいましたね。2016年も残り3ヶ月ちょい。私的には年内にも内外両面ドドドッと自分を変えていく算段をしているので頑張りたいです。(仕事の見積もりが甘いと常々言われますが、自分がヤル気になっとることくらいは達成させたい所存)

 

   最近、業務が押し付けられる感じでやたら増えており、いまは凌いでいますが3ヶ月後には干し芋みたいな顔になっているであろう状況です。ある日も爆弾みたいな仕事の引き継ぎがあり、地獄やな…と思い、コールタールのようなストレスを抱えて山手線内回りに揺られました。その後、僕は西武新宿線で帰途につくのですが、その日、隣の席には子連れが座っておりました。赤ん坊の顔を見ると、もうそれはそれは異常にかわいい。この世の汚れを知らず、これから想像もしないことの連続であろうけど、なにも経験したことがない無垢な顔がそこにはありました。僕は赤ん坊と目が合うと、反射的に変顔をして笑わせようとするのですが、(変顔が通用しないと、母子ともに怪訝そうな顔で此方を見てくるので、心で泣く)その日はもう絶好調。僕ははたからみたら放送コードに乗せられない人間のように変顔バリエーションを披露していました。目をかっ開きながら、舌をべろべろしていると、「赤ちゃん…いや赤さまが欲しい!!赤さまとお風呂入りたい!街へ繰り出したりしたい!」という内なる声が!しかし!いますぐに手に入れることは叶わない、誘拐する訳にもいかないし、僕は身体の構造上、赤さまを身籠ることは出来ません!さあ、どうしたものか!何も考えずにため息まじりでカツカレー食べました。オーケー人生。

 

 「怒り」という映画を見ました。以下、ネタバレに留意して綴ります。

 

 「怒り」のあらすじ:ある夏の日。八王子で夫婦が殺害される事件が起きた。その現場には、手のひらに付着した血液で書かれたとされる「怒」という文字が残されていた。その犯人は「山神一也」と判明するも逃亡、整形をして1年以上、今もどこかで”普通の生活”を送っているという。そんな折、東京と千葉と沖縄の3つの舞台で「山神一也」と思しき人物が。彼ら三人は身元不詳だったり偽名を使っていたり、無人島に一人で住んでいたりと、一様に怪しさ満点。やがてその三人は人生のターニングポイントともいえる人物に遭遇し、それぞれの暮らしを営んでいく。しかし、彼らのパートナーらは報道で明らかになっていく山神一也の情報を見るに連れて次第に"山神一也似の男"に疑念を抱いていく。果たして犯人はこの中に存在するのか。彼らと出会う人々は、葛藤を乗り越えられるのか。

 

 なんでいきなり映画の批評をはじめたんだ??!こいつ!ってなるでしょうけど、その理由は明快、「とんでもない傑作」だったからです。邦画でこんなに涙を流したのは、記憶にある限り「空気人形」以来でしょうか。 役者陣はそれこそ全員が主役級。週刊少年ジャン*でよくある強さのインフレ状態。脇を固めるのも、ピエール瀧池脇千鶴高畑充希とこれまた豪華。なので、名演技が随所で光ります。僕はある人物(犯人)があるシーンで見せる「眼」が焼き付いて離れません。あんな恐ろしい眼ありますか。(ちなみにmy favorite 眼の演技はアメリカンヒストリーXのエドワードノートン。これはちょっと凄すぎて、ボクに衝撃が走った。)あとは役者の吐く言葉がこれまたすごい。

「信じてくれてありがとう」

「難しいよな、本気は目に見えないから」

「2人で抱え込むことないだろう」

「分かろうとしない人にはどんだけ伝えても伝わらないんだよ」 

文章だけで見たらなんてことはない科白です。 しかし、声と文脈、状況が交差すると脳髄と胸を射抜くのです。そして自分の中に堆積していく。ほんと、映画の科白には勇気づけられたり、教訓を得ることができます。

本作の登場人物は全員自己猜疑心に苛まれている節があります。(僕自身にもある。)人間みな平等だろうよ、と言っている人(ある意味タフな人)は一生共感できない感情ですね。でも確かにこの世の原理原則は平等じゃないから。また、個人の感情なんて本当に些細なもので、その基では常識があり、習慣があり、モラルがあり、法律があります。こんなお堅いシステムで暮らしている以上、デリケートな人ほど住みにくい世界です。でも、登場人物もそうであったように、何かしら別の結論に行き着くことが出来ると思います。それは現実世界じゃなくシステムの枠組みを外した、人と人との関係性の中に内包される別世界でしっかりと受け入れられる。それが「救い」なんじゃないか。その「救い」をしっかりと秘めて、生きていけばよいんじゃないか、と。さて、それぞれの人物にどんな結末が用意されているのか、それはぜひ劇場で確かめていただいて・・・。まぁ万人に勧められないけど、少なくとも僕は観て良かった。

夏を視つめすぎるな

■夏は余力で秋へとやり過ごそうとしています。みんな、元気ですか。夏が始まった感覚は5月のGWからあったので、例年より体感「夏」時間が長かったような気がします。色々なことがありました。人生の過渡期25歳でたくさん悩んでおりますが、万年通して過渡期の僕は生きることは悩むことと同義だという割り切りのもと息をしています。

 

■枕を買い換えました。前は某池亜の枕で寝ており、肩の接地面がよくわからんことになって、寝ると肩が凝るという摩訶不思議アドベンチャーな睡眠をとっていました。んで、これではあかんと思い、10倍の値段のする枕を熟慮に熟慮(20分)を重ね購入しました。うきうきしながら寝てみる。すると…こっ、これは!寝やすい!!なんだこれは!これは…母ちゃんの膝枕?いやこの安らぎは…ペールギュント・朝をかけてテーブルロールを焼いてとかなんちゃらかんちゃら…とか考えてたら寝れませんでした。

 

■憧れの人とドラムを叩いた。僕が中高のころからら好きなあるバンドの方のスタジオにお邪魔をして、飲みの代金を支払う代わりにドラムを教えていただいた。「ハヤシのドラムは緩急がつくといいね」など生き方にも通じることを丁寧に教えていただきつつ、高校生の頃の僕にこの風景を見せたら卒倒しちゃうだろうな、とか思いつつの黙々とルーディメンツ。こっちに住んでから、なにかと人の出会いには恵まれていてパワーをいただいている。なんかこちらが何もしてない気がして大変申し訳ない気持ちになるけども、大変幸せです。ありがとうございます。

 

■知らないことをスルーして生きてきたことを悔いています。僕は興味のある事項だけ理解を深め、知らないことを知ったような気になって生きてきた節があります。本とか読んでいてもそうです。前後の文脈からこうだろうなとあくまで自分の頭の中で想像したものを解としてきた場面が多くありました。その場しのぎというやつですが、この歳になるともうそんなモノは通用しません。ちょいと気になっちゃったことは面倒でも分からなかったらちゃんと理解するといいと思います。それが後々じわじわと効いてくるし、その人自体になる可能性があります。そんな教養がつけば、人として魅力的になる可能性がある。魅力的になれば、人が寄る可能性がある。人が寄れば、人生の伴侶を見つける可能性がある。まあ、僕のようにその場しのぎで生きているとこんな底の浅い可能性の話しか出来ないので、皆さんはこうならないようにしましょう。

 

◼︎血液型はほんとに性格を左右するんでしょうか。だとしたら、入れるハコが4種類しかないって…それがカテゴライズの浅さなんでしょうか。